FEATURE 83

THE LEGENDS

コンペ30年史に名を刻むレジェンドクライマーたち[2000年代]


岩場での冒険的な挑戦にルーツを持つクライミングが今、こうして誰もが楽しめるスポーツへと進化する過程には、その文化や魅力を伝え広めてくれた名クライマーの存在があった。1989年のクライミングW杯(ワールドカップ)創設から30年。世界各国から数々の強者が現れては大会を盛り上げ、スポーツクライミングは競技として確立、ついにはオリンピック競技に採用されるまでになった。そんなコンペ史に残る「伝説」の選手たちを、W杯や世界選手権の変遷とともに振り返ろう。

※本記事の内容は2020年6月発行『CLIMBERS #016』掲載当時のものです。
 
コンペ30年史に名を刻むレジェンドクライマーたち[序章 – 1990年代]
 

競技として多様化するクライミング界で
各国からスター誕生、オーストリア急伸

 1990年代の中心はリードであったが、2000年代はボルダリングや現フォーマットのスピードもW杯種目に追加され、クライミングは競技としても多様化を見せる。
 
 ボルダリングは1998年に実質的なW杯のトライアルである「トップロックチャレンジ」全6戦がヨーロッパで行われ、翌年からW杯種目に正式採用された。当初は決勝も現在の予選・準決勝と同様にベルトコンベア方式だったが、2006年から1課題ずつ全選手で競技する、いわゆるW杯決勝方式が導入されて盛り上がりを増す。1998年にW杯入りしたスピードは毎回同じルートで記録を争うレコードフォーマットが2008年に確立。しかし、まだこの時代はスピード専門のクライマーと、リードやボルダリングで戦うクライマーが互いに交わることはほぼなかった。また、2007年にはクライミング競技を統括する組織がIFSC(国際スポーツクライミング連盟)としてUIAAから独立し、オリンピックも視野に入れるべくスポーツ団体としての組織基盤が形成され始める。
 
 2000年代、コンペとしてのクライミングの裾野はフランス以外の欧米諸国に一段と広がり、多くの国の選手層が厚みを増してくる。00年代初頭こそリード男子でアレクサンドル・シャボ、ボルダリング男子でジェローム・メイヤーなどフランス勢の力強さが目立ったが、中盤以降はその他ヨーロッパ各国からW杯や世界選手権で頂点に立つスター選手が誕生した。
 
 チェコ男子のトーマス・ムラチェクは、クライミング協会があまり機能せず遠征サポートなどもままならない中、世界選手権を2連覇して母国にクライミングの土台を築いた。チェコが生んだ稀代のクライマー、アダム・オンドラもクライミングを始めた頃にムラチェクの活躍を見ていたそうだ。ベルギー女子のムリエル・サルカニーは、当時のベルギーでは安全面からジムでリードが禁止されトップロープしかできないという驚くべき環境下で育ったが、1997~2003年の7年間にW杯で5度の年間優勝を果たし、長きにわたって存在感を世界に示したのだった。
 

写真:飯山健治

逆境が生んだベルギーの女帝
【ムリエル・サルカニー】
1974年8月5日、ベルギー生まれ。女子の中でも小柄で、また若き日の母国はジムでリードが禁止されトップロープのみしかできないという環境だったにもかかわらず、そのハンディを力に変えて00年代初頭の3連覇を含む通算5度のW杯年間女王に輝いた。これは女子リードで歴代最多の偉業である。
 

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 記録にも記憶にも残るレジェンドはスペインのラモン・ジュリアンだろう。ジュリアンは160cmを下回る小柄な体格ながら、世界選手権2度の優勝に加え、岩場でも世界で最も有名な5.15aの1つである「ラ・ランブラ」(スペイン)を初登するなど、世界中にファンの多い名実ともにクライミング界の伝説と言える。
 

写真:飯山健治

スペインの“小さな巨人”
【ラモン・ジュリアン】
1981年11月9日、スペイン生まれ。160cmに満たない身長ながらも、それを補って余りある体幹とパワーで、世界選手権で2度リードの頂点に立った。10年以上の長きにわたりトップレベルを維持し、29歳で2回目の世界一、33歳で21回目のW杯優勝を達成。岩場でも多くの高難度課題を完登している。
 

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 時代は変わり始め、フランスに代わってオーストリアがクライミング王国として急伸する。女子のリードではアンゲラ・アイターが世界選手権で4度優勝という、前人未到かつ未だに破られていない金字塔を打ち立てる。アイターはコンペを引退しても2017年に岩場で女性として唯一5.15bというグレードを登り、今なお最前線でクライミングの成果を上げ続けている。男子のボルダリングでは“ザ・レジェンド”の名前がふさわしいキリアン・フィッシュフーバーがW杯で通算21勝、年間優勝5度など、00年代後半から10年代初頭にかけて絶対的な強さを誇った。彼は単なる保持力やフィジカルだけでなく、クライミングの総合力において他の追随を許さないパフォーマンスを披露し、その立ち居振る舞いから現在も多くのクライマーによるリスペクトを集める存在だ。そして以後も、オーストリアはヤコブ・シューベルトやアンナ・シュテールといったスターを次々と輩出する。
 
 ボルダリングでは00年代後半から10年代にかけて、ロシア勢の層が厚くなっていったことにも注目すべきだろう。世界選手権を3度制したドミトリー・シャラフディノフ、恐ろしい指の強さを見せつけたルスタン・ゲルマノフ、精密機械のようなアレクセイ・ルブツォフら、まさにボルダラーという力強い選手が数多く生まれた。
 

写真:飯山健治

世界を4度制した唯一の存在
【アンゲラ・アイター】
1986年1月27日、オーストリア生まれ。世界選手権でリード女王の座に最多4度も君臨。リーチはないが、腕を曲げて引き付けてから、さらに引き付けて距離を出す力に優れる(野口啓代談)。12年の同大会優勝を最後に競技から退いたが、岩場では第一線で活躍し、17年に女性初の5.15bルートを完登。
 
野口啓代が語る「アンゲラ・アイター」
「私が初出場した世界選手権(2005年)で、とても背が小さくて細いのに、リード上位3人しか進めなかった強傾斜を片腕懸垂など余裕のあるパフォーマンスで越えてダントツで優勝したのを覚えています。すごく印象的だったのはスイスでのW杯。彼女は競技中に肩を脱臼してしまって、かなりつらい状況のはずなのに、心配する観客に笑顔で手を振ってみせた。『プロってすごい』と感動してしまい、そのプロ意識の高さに憧れました」
 

写真:飯山健治

当代随一の“ザ・レジェンド”
【キリアン・フィッシュフーバー】
1983年8月1日、オーストリア生まれ。穴のないクライミングでW杯21大会を制し、5度の年間優勝を果たした英雄。男子ボルダリングではともに史上最多記録だ。温和で仲間想いの性格から多くの尊敬を集め、競技引退後は岩場のルート開拓などに携わる。同国のレジェンド、アンナ・シュテールとはパートナー関係。
 
楢崎智亜が語る「キリアン・フィッシュフーバー」
「最強のボルダラーの一人ですね。オールマイティに何でもできて、さらにコーディネーションなど特殊なタイプの課題を少ないアテンプトで登るイメージ。“勝負どころでの発揮力”というか、ここぞという場面での集中力もすごい。僕がコンペとかの相談をすると親身に聞いてくれるし、競技を引退したのはライバルたちが引退してモチベーションがなくなってしまったからだと聞いています。とても優しくて、仲間想いですよね」
 
コンペ30年史に名を刻むレジェンドクライマーたち[2010年代]に続く
 
【2000年代 優勝者一覧|W杯&世界選手権】
 

 

 

 

CREDITS

植田幹也 / 構成 編集部 / 写真 アフロ

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