FEATURE 84

THE LEGENDS

コンペ30年史に名を刻むレジェンドクライマーたち[2010年代]


岩場での冒険的な挑戦にルーツを持つクライミングが今、こうして誰もが楽しめるスポーツへと進化する過程には、その文化や魅力を伝え広めてくれた名クライマーの存在があった。1989年のクライミングW杯(ワールドカップ)創設から30年。世界各国から数々の強者が現れては大会を盛り上げ、スポーツクライミングは競技として確立、ついにはオリンピック競技に採用されるまでになった。そんなコンペ史に残る「伝説」の選手たちを、W杯や世界選手権の変遷とともに振り返ろう。

※本記事の内容は2020年6月発行『CLIMBERS #016』掲載当時のものです。
 
コンペ30年史に名を刻むレジェンドクライマーたち[2000年代]
 

アジア躍進の旗手となった野口啓代
五輪という目標、万能な新時代の王者

 2010年代に入ると、クライミングはメディア露出により認知度が上がり、ジムの数も増えて裾野はさらに広がった。そして2016年には念願のオリンピック追加競技に採用。コンペはクライマーだけのものから、一般の人も観戦し楽しめるポピュラーなものへ進化する必要に迫られた。スピードの壁は10mとの併用期間を経て2012年に15mに固定され、リードも競技時間が8分間から6分間に短縮、ボルダリングも最終トライのオーバータイムがなくなるなど、ルール面の変化からも競技進行や観戦者への配慮が見て取れる。
 
 2010年代はアジア勢が世界に台頭した時代だ。その先頭に立ったのは野口啓代。2007年にボルダリングW杯初参戦で準優勝と鮮烈なデビューを果たすと、翌年には初優勝、2009年には年間優勝。一気にコンペシーンの階段を駆け上がり、現在まで通算21度のW杯優勝、4度の年間優勝の偉業を達成している。圧倒的な指の力と卓越したテクニック、そして何よりスター性を持ち合わせた野口はボルダリングコンペ史に輝くレジェンドだ。
 

写真:窪田亮

進化を続ける日本の先駆者
【野口啓代】
1989年5月30日、茨城県生まれ。圧倒的な保持力でボルダリング国内9連覇、W杯では年間優勝4度、世界選手権でもメダル7つを獲得し、日本を牽引してきた。16歳で世界デビューとなった05年の世界選手権リード3位以来、今日まで表彰台に上がり続け、最後の舞台である五輪で金メダルを狙う。
 

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 野口最大のライバルはアンナ・シュテール。野口を柔のクライマーとするなら、シュテールは力強さのある剛のクライマーと言える。2008年から2014年あたりまでは両者の完全な2強時代で、常にどちらかが表彰台の一番上に立っていた印象すら受ける。シュテールは通算で野口を上回るW杯22勝の記録を打ち立て、年間優勝を4度、世界選手権も2度制覇した。
 

写真:飯山健治

ボルダラーNo.1のW杯22勝
【アンナ・シュテール】
1988年4月25日、オーストリア生まれ。パワフルな登りでセンセーションを巻き起こしたクライミング大国の女王。W杯通算22勝はボルダリング男女を通じて歴代最多。08年から6年間、W杯年間1、2位を激しく争った野口とは良きライバルとして互いに切磋琢磨してきた仲で、現在も親交が深い。
 
野口啓代が語る「アンナ・シュテール」
「初対面は18歳の時。アンナは気さくで会った瞬間から友達になれました。彼女は背中のバネや体幹がすごく強い、私とは真逆のタイプ。当時の大会は今と違い、強力な長所を持つ選手が自分にしか登れない課題を登って優勝する、みたいな時代でパワフルな彼女が勝つ時の姿は圧巻でした。一番の思い出は2009年の同時優勝したW杯。史上初、急遽行われた優勝決定戦でも2人で一撃し、何より憧れの人と一緒に優勝して表彰台に並び立てたことが嬉しかったです」
 

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 リードでもアジア勢の飛躍は目覚ましい。牽引したのは韓国のキム・ジャイン、そして日本の安間佐千だ。キムは153cmと女性でも小柄ながら、類稀なる持久力でW杯年間優勝3度、世界選手権でも優勝経験を持つ。安間は登るために設計されたかのような長い手足と身軽な身体を持ち、クライミングを誰よりも理解しようと追求し続けた選手だ。結果として2012、2013年とW杯年間王者に君臨。平山の活躍から10年以上が経ち、再び日本にリードで世界トップクラスの選手が現れたのだ。
 
 10年代後半になると、五輪種目としてコンバインドというスピード、ボルダリング、リードの3つを1人で行う複合形式が採用される。これはコンペを目指すクライマーに決定的な変化を与え、否が応でも3種目ともに力を入れ始めることになった。この現代において、圧倒的な力を見せているのがチェコのアダム・オンドラ。岩場でリード界の最高グレードを5.15c、5.15dと更新し続け、クライミングのレベルを別次元に押し上げた。コンペも出場すればリード、ボルダリングの両方で無類の強さを誇る。
 

写真:飯山健治

誰もが認める“現代最強”
【アダム・オンドラ】
1993年2月5日、チェコ生まれ。岩場では世界最難ルートを登り、コンペでは史上初めてリードとボルダリングでW杯年間、世界選手権の両方を制したすでにレジェンド級の怪物。楢崎も「下半身も強い。特に膝を使うニーバーの技術が上手すぎて、あんな対応をしている選手は見たことない」と舌を巻く。
 
楢崎智亜が語る「アダム・オンドラ」
「適切なタイミングで適切なムーブをはめていく技術が異常に高いクライマーです。ここでこう呼吸してとか、どちらの手でクリップしてとか、そこまでオブザベできているのではないかと。岩場で自分の限界と向き合ってきた中で、感覚が研ぎ澄まされてきたんだろうと思います。普段はいつもニコニコしていて穏やかですが、クライミングになると練習から叫んだりして、ガラッと印象が変わりますね。相当な負けず嫌いなはずです」
 

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 まだ若いが、この先レジェンドとして語り継がれるであろう選手が、スロベニアのヤンヤ・ガンブレットと日本の楢崎智亜だ。ガンブレットは唯一無二の身体能力を備え、女性のコンペクライマー史上で初めて男子トップ層と同レベルの動きができる選手だと形容されるほど。本職はリードながら、2019年にはボルダリングW杯で全戦を勝ち切る完全優勝を達成。世界選手権でリード、ボルダリングの両方で優勝経験があるのはオンドラとガンブレットのみだ。
 
 楢崎は2016年にボルダリングでW杯年間優勝を果たすと、その勢いのまま日本勢にとって鬼門だった世界選手権で日本人初優勝を手にする。2019年にはW杯年間と世界選手権の王者に返り咲き、さらにスピードの才能も開花させ、コンバインド種目でも世界選手権で優勝を成し遂げた。楢崎は高い運動神経と異常なまでの身体のバネを持ち、種目にとらわれずクライミング競技全体で最適な動きができる選手なのだ。
 

写真:窪田亮

連戦連勝、21歳の絶対女王
【ヤンヤ・ガンブレット】
1999年3月12日、スロベニア生まれ。オンドラに次いでW杯年間&世界選手権で2種目制覇を遂げた天才。昨年はボルダリングで史上初のW杯全勝優勝。
 

写真:窪田亮

魅惑の“TOMOAスタイル”
【楢崎智亜】
1996年6月22日、栃木県生まれ。驚異の身体能力で日本人の壁だった世界選手権で16年にボルダリング優勝を果たすと、19年はコンバインドでも頂点に。
 

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 この先の2020年代、東京五輪に始まり、クライミング界はまた一段と進化していくであろう。どのようなまだ見ぬレジェンドが生まれるか、楽しみである。
 
 
【2010年代 優勝者一覧|W杯&世界選手権】
 

 

 

 

 
※世界選手権では2018年、2019年大会と東京五輪フォーマットのコンバインド(3種目複合)が実施され、男子はそれぞれヤコブ・シューベルト(AUT)、楢﨑智亜(JPN)が優勝、女子はヤンヤ・ガンブレット(SLO)が2連覇を達成している

CREDITS

植田幹也 / 構成 編集部 / 写真 窪田亮

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