FEATURE 23
独占インタビュー
小田桃花 挫折から掴んだ幸せ
やっぱり、クライミングって楽しい
日本人女子として初めてリードW杯を制したのが18歳のとき。しかし、そのちょうど2年後、奇しくも同じイムストの地で彼女は競技から離れることを決意する。リードジャパンカップで優勝4度、ボルダリングジャパンカップで準優勝5度の実績を誇る、世界にその名を轟かせたトップクライマーの今に迫った。
16歳で迎えたボルダリングW杯の出場初戦で準優勝(2010年)、18歳で日本人女性初のリードW杯制覇(2012年)を成し遂げるなど順調に見られた選手生活ですが、なぜ突然、幕を閉じる決断をされたのでしょうか?
「無理して練習してきたツケが溜まりに溜まって、体が突然悲鳴を上げた感じで。急に体重のコントロールが利かなくなり、指は腱鞘炎を起こし、でも練習量は下げられないっていう状況に陥ってしまって」
確かに2013年のW杯ではボルダリングとリード合わせて全16戦中15戦に出場と、ハードなシーズンを過ごされていますね。
「両方頑張りたかったですし、頑張れると思っていたので」
2度目のリードW杯優勝は野口啓代とのワンツーフィニッシュだった(2013年クラーニ大会/写真:アフロ)
そして翌年の8月を最後に、競技を離れています。
「夏にあった、イムスト(オーストリア)でのW杯が最後で。その前くらいから兆しはあったんですけど、『もう無理だ』って。1カ月後に控えた世界選手権も急きょキャンセルしました」
本当に突然だったのですね。
「この状況から抜け出すにはやめるしかないってくらい追い込まれてしまって、心の余裕もなかったですね」
“燃え尽きてしまった”と。
「あとは環境に麻痺しちゃってたのかもしれないですね。すごいストイックに練習していて、もうきついって考えるとできなくなるので、『私、筋トレがすごい好きなんだ』って無意識に思い込ませていたことに気がつきました。いつも断ってしまうのが申し訳なくて、友達にも“遊びに誘わないでオーラ”を出してたと思います。本当にクライミングだけのために毎日過ごしていましたね」
競技を離れてからは?
「誰からも止めてほしくないし、話も聞きたくないってすべてを捨てる勢いでやめてしまったので、孤独でした。周りを裏切った罪悪感で自分を責める一方、『もう私に期待しないでほっといてほしい』と思ったりもして。人生であんなにつらかったことはないですね。
でも、食べたいものを食べて、家族とゆっくり過ごして。それまで減量をしていたせいか最初は食べることに罪悪感があったんですが、徐々にその意識も薄れてきて、自然と自分を否定する気持ちも減っていきました。半年間、散々食べたのでめっちゃ太りましたけど(笑)」
訪れた転機は、クライミングがきっかけだった
ゆっくり時間を取れたことが何よりの良薬だったんですね。
「それと、みんなによくその精神状態で行けたなって言われるんですけど、実は大会の応援には行っていました。印西でのW杯とか。やっぱりクライミングに少し未練があったのかな。そこでユース時代に一緒に頑張ってた子と再会して、『クライミング抜きでいいから』って遊びに誘ってくれたんです」
それが転機になったと。
「クライミング一切なしで、渋谷で美味しいもの食べてボウリングして、夜は相当飲んで人生初のオールをして。今までできなかった普通の遊びができたそのときに、初めてクライマーじゃない小田桃花を受け入れてもらえた感覚がありました。『私のままでいいんだ』と思って、すごい救われたんです。それをキッカケに周りに目を向け出すと、選手をやめたことに対して否定的な意見ばかりじゃないことに気がついたんですね。もったいないって言う人もいたけれど、表に見えない努力を知っている人たちは『よく頑張ったよ』って。もっと早くつぶれてもおかしくない練習量とストイックさだったから、もうちょっと休んでもいいんじゃない?って意見もあることに気づいて」
周囲の声にも耳を傾けられるようになり、それで自然とクライミングへの復帰にも近づいたわけですね。
「そのとき遊んだメンバーにジムでバイトしていた子がいて、会いに行きがてら『ちょっと登ってみよう』と思ったんです。ブランクもあったので、6~7級の簡単な課題がキツかったんですけど、でもそれがすごく新鮮でした。強くいなきゃいけない必要もないし、本当に自分が登りたいから登る。クライミングを始めてすぐの頃を思い出しました。登れないとしても難しい課題を触るのが楽しくて、やっぱり私はクライミングが好きなんだと」
コンペに復帰して、海外の友と再会して
それからはコンペにも復帰し、今年は3年ぶりにボルダリングジャパンカップ(BJC)にも出場されました。
「そうですね。もともとコンペは好きだったんですけど、お祭り感覚で参加した地元でのコンペがやっぱり楽しくて。岩場の難しい課題を登れて自信もついていたので、BJCの予選会に出てみようと。そしたら思いのほか成績が良くて、本戦でも準決勝まで行くことができました」
その結果を受け、日本代表にも選出されます。久々に参戦したW杯(八王子)はいかがでしたか?
「外国の選手からは忘れ去られているんだろうなと思ってたんですけど、韓国のキム・ジャインとか、オーストリアのアンナ・ストールとか、『久々だね』って声をかけてくれて。特にジャインは今楽しく登ってることにすごく喜んでくれました。海外の友人との再会や、コンペの雰囲気、集中して登る緊張感。本当に楽しかったですね。別に負けてもいいやって気持ちもあるからすごい楽で」
3年ぶりとなったW杯は27位でフィニッシュ(写真:牧野慎吾)
10月初旬に開催された愛媛国体でも、ボルダリングで個人1位に輝いています。
「国際大会の連戦で疲れている選手もいましたし、プレッシャーの度合いも違うので……。でも素直にみんな驚いてくれて、まだまだ私も捨てたもんじゃないのかなって思えて嬉しくなりました(笑) 」
来年のBJCも楽しみですね。
「緊張すると思いますけど、マイペースで頑張りたいです」
「私はずっと楽しくクライミングをしていたい。岩でも、コンペでも、ジムでの練習でも」
今後もクライミングと関わっていくのでしょうか?
「今年の春に大学を卒業して、クライミングジムで働いています。皆さんにもっとクライミングを楽しんでもらえるように、スタッフとしてアドバイスやサポートができればと思っています」
自身のクライミングについては?
「一回やめてるので、たぶんもうクライミングはやめないと思います。でも、いつも楽しく登っていたいですね。モチベーションが上がらないときは、登らない。上がってるときは、めっちゃ登る。頑張らない宣言をすることがいいことかわからないし、甘いって思われるかもしれないけど、私はすごい懸けて頑張ってきたので。もう、あの頑張り方はおしまいでいいかなって。
楽しく登って、強くなれたら一番うれしい。自分が楽しいと感じたらコンペにも出たいですし、W杯に出る機会があればまた海外にも行ってみたいです。ただ、少しでも違和感があったら、自分の気持ちを押し殺してまで出ようとは思わない。私はずっと楽しくクライミングをしていたい。岩でも、コンペでも、ジムでの練習でも」
今後の夢や目標は?
「世界一を目標にしていた時期は終わったので、岩で難しい課題を登りたいですね。去年行った南アフリカのロックランズがすごい楽しくて。初めて岩で四段が登れたんですよ。外国の岩場巡りをしたいなって思っています。
いろいろお話ししたんですけど、私がなぜ困難を克服できて、なぜ今楽しく過ごせているのかって、周りの人たちのおかげなんです全部。受け入れてくれる人、今の私を好きだって言ってくれる人たちがすごく多かったので。そのおかげで今、とても幸せなんです。本当に周りの人たちには感謝しかないですね」
CREDITS
インタビュー・文・写真 編集部 /
撮影協力 グラビティリサーチ ミント神戸
※このインタビューは2017年10月6日に収録されました。
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PROFILE
小田桃花 (おだ・ももか)
1994年3月6日、山口県生まれ。11歳のときに制したJOCジュニアオリンピックカップ大会を皮切りに、数々の大会で活躍。リード、ボルダリングともに才能を発揮し、リードジャパンカップでは4度の優勝、ボルダリングジャパンカップでは5度の準優勝を誇る。国際大会でも初出場したボルダリングW杯で銀メダルを獲得し、18歳のときにはリードW杯で日本人女性初の優勝を果たした。2014年にハードトレーニングの影響から競技の第一線を離れ、現在はジムスタッフとして勤務する日々を送る。