FEATURE 21

独占インタビュー[後編]

石松大晟 火の国クライマー 上京物語

先を越された。「絶対に俺も行ってやる」

今季ボルダリングW杯の最終戦で表彰台に上がった石松大晟。自身の性格を「負けず嫌い」と話す20歳の若きクライマーに、上京前後の日々、友との出会い、そして思い描く未来像を語ってもらいました。後編では、今後の活躍がますます期待される彼の原点に迫ります。

※このインタビューは2017年9月8日に収録されました。
 
インタビュー前編:遅れてきたダークホース
 

「関東に出たら、強くなるか、弱くなるか」

後編では、石松選手の生い立ちからお聞きしたいと思います。まずはご出身と家族構成を教えてください。

「出身は熊本市です。家族は両親にそれぞれ3つ違いの兄と弟がいました」

クライミングを始めたきっかけはご家族の影響ですか?

「父親が山登り好きで、小さな頃からよく外の岩に連れて行ってもらっていたんです。でもそのときは怖くて壁にへばりついている感じで(笑)。小学6年生のときに近所にできたクライミングジム「The Ranch」に試しに行ってみたのがきっかけで本格的に始めました」

初めてのコンペというのはいつでしょう?

「小さなコンペだと中学1年のときにあったThe Ranch主催のコンペですね。他のジムからも強い人が来ていて、その人たちを見て『自分も強くなりたいな』と思うようになったのを覚えています。それで大きなコンペにも出るようになりました」

初挑戦した大きなコンペというのは?

「2012年のJOCジュニアオリンピックカップ(リード)ですね。それからは九州の比較的大きなコンペにも挑戦しつつ、高校に上がってジャパンカップにも参加するようになりました」

そして高校卒業後、上京されます。

「3年生の頃まで上京するか、九州の大学に進学するかを悩んでいました。当時は渡辺数馬さん(編注:第3回ボルダリングジャパンカップ王者)と一緒に登らせてもらっていて、よく相談をしていました。そのときに『関東に出たらめっちゃ強くなるか、めっちゃ弱くなるかのどっちかだよ』と言われたんですよね。色んな誘惑に負けて遊んで弱くなるか、しっかりと練習に打ち込んですごく強くなるか。絶対そのどちらかに変わってしまうと。夏休みに関東の色々なジムを回るなかで、訪れたのが今いるBase Camp。施設も大きいし、リードもボルダーもできる環境があって、ここだったら遊ばずにしっかりと練習に打ち込めるかなって思ったんです」

こちらで働くようになってからは、どんな生活を?

「基本は週に5日出勤して、仕事の前後に練習するという感じですね。休日にはよく大好きな温泉に行ったりしています」

ジムではどんな業務を?

「インストラクションと施設の点検、受付業務がメインです」

始業前にレジ開けを行う

登りに行く立場から、働く側になって感じることはありましたか?

「はじめは講習を覚えるのが大変で。お客さんに登り方をレクチャーするんですけど、思ったことを上手く伝えることって難しいんだなと思うことが多かったです」

でもそういうところから見えてくることもあったんじゃないでしょうか。

「身長やリーチって人それぞれ違うじゃないですか。お客さんによってどこまで届くかという限界が掴めるようになって、それは自分の登りを冷静に見られるようになったことにも繋がっています」

 

友の活躍を糧に代表へ

前編で緒方良行選手と「いつか一緒にW杯決勝で登りたい」と語り合ったというお話がありましたが、彼とのエピソードも聞かせてください。

「中学1~2年の頃「THE NORTH FACE CUP」の九州予選に参加したとき、僕が登っているのを『凄いな』って見ていたらしいんですよ。それから数日後にたまたま登りに行ったジムに彼がいて。めっちゃ小さいくせに、ずっと足を使わず手でぶら下がっていて『なんだこいつ』っていうのが最初の印象です(笑)。それからはちょうど熊本と彼が住んでいる福岡の間にジムがあって、そこで一緒に登っていましたね」

緒方選手は以前、石松選手のことを「あいつは九州男児で追い込まれるほど力を発揮するタイプ」と話していました。

「確かに言われてみればそうかもしれないですね。九州男児っていうのはあいつもそうだと思いますけど(笑)。九州で一緒に登っている頃は『ここはちゃんと登らなきゃいけない』っていうところで、二人ともすごく集中して、気合を入れて登れるタイプでした」

「いつか一緒にW杯決勝で登りたい」と思い描くようになったのはいつ頃でしょう?

「2015年のジャパンカップ深谷大会の頃ですね。最初はW杯ではなく、ジャパンカップの決勝で一緒に登りたいなって言ってたんですよ。深谷大会に出るとき同じホテルに部屋を取って、『一緒に決勝行こうな』って。それが段々と大きくなって、いつしかW杯決勝というものに変わっていきましたね」

W杯へは緒方選手の方が先に出るようになりました。そのときはどんな思いでした?

「あいつは僕より1年早く出たんですけど、『先越されたな』という感じで。でも悔しいというよりかは、ずっと一緒に登って来たのでとにかく嬉しかったです。それでモチベーションもすごく上がって、『絶対に俺も行ってやる』って思うようになりました」

代表権獲得の場、ジャパンカップへの気持ちも変わったんじゃないですか?

「普段の練習のモチベーションから変わりましたね。出始めの頃はチャレンジするという思いで出場していましたが、深谷大会の時は代表に選ばれることを完全に目標にしていました」

ジャパンカップで結果が出たのが翌年の加須大会(4位)。同年のミュンヘン大会でW杯デビューをされました。緒方選手と初めて一緒に出るW杯にもなりましたが、当時のことは覚えていますか?

「前週のアジア選手権であいつが食中毒になって体調を崩していて、出場するかも微妙なくらいギリギリの状態でミュンヘンに来ていたんですよ。もう全然力が入らないっていう感じで、初めて二人で出場するW杯といっても向こうがそれどころじゃありませんでした(笑)」

 

お客さんを呼べるクライマーになりたい

そんな緒方選手は石松選手にとってどんな存在でしょうか。

「仲間であり、ライバルですかね。日本には強い選手がたくさんいて、みんながライバルだと思うんですけど、やっぱり昔から知っている彼が一番刺激になりますね。昔からあいつにだけは勝てるイメージが全然湧かないんですよ。『なんだこの登りは…』って」

けれどそういう仲間がいるのは素敵なことですね。石松選手は将来どんなクライマーになりたいというイメージはありますか?

「ずっと考えているのが、ただ強いだけじゃダメだと思うんですよね。例えばサッカーにはメッシがいるじゃないですか。彼はただ出てくるだけで歓声が湧きますよね。そういうスター性のあるクライマーになりたい、と大好きな温泉に浸かりながらいつも考えています(笑)」

なるほど(笑)。お客さんを呼べるスター選手が理想だと。

「お客さんが見に行きたいというスター選手がいれば、クライミングはもっと注目されて盛り上がると思うし、登っている自分たちも楽しい。そういうお客さんももっと増えて欲しいんです。強いクライマーはたくさんいますけど、スターと呼べる選手ってなかなかいないと思うので、僕がそういう選手になってクライミング界を盛り上げていきたいです」

CREDITS

インタビュー・文 篠幸彦/ 写真 編集部 / 撮影協力 Climb Park Base Camp

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PROFILE

石松大晟 (いしまつ・たいせい)

1996年12月6日、熊本県生まれ。小学6年生のときに地元のジムでクライミングを始める。ユース日本代表とは縁がなかったが、2016年のボルダリングジャパンカップで4位に入り日本代表に初選出。その年のW杯最終戦ミュンヘン大会で国際大会デビューする。開催国枠で出場した2017年八王子大会では決勝に進出し6位、ミュンヘン大会では3位で表彰台に立った。

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