FEATURE 20
“脱ビギナー”への近道!
小林由佳のオブザベーション講座
クライミングの上達に大事な、課題(ルート)の下見をする行為「オブザベーション」。と言っても、どのようにシミュレーションすればいいのか、よくわからない方も多いだろう。今回はその秘訣を、長年ワールドカップで活躍してきた小林さんが指南! トッププロの頭の中はどうなっているのでしょう?
※本記事の内容は2017年6月発行『CLIMBERS #004』掲載当時のものです。
なぜ“オブザベ”が重要なのか?
クライミングというのは“省エネ”が一つの鍵になるスポーツ。特にビギナーの方だと、ゴールどこかな?くらいの下見でスタートしてしまう場合が多いと思います。でも同時に、途中でルートを迷ったり手順、足順を再確認しているうちに体力を消耗しちゃう、そんな経験をしているはず。しっかり事前準備しておく必要があるんですね。壁全体を眺めて、どう体を移動して行こうか、左右どちらの手足で取るべきか、ホールドの位置や形は……とシミュレーションするのは大事で、それは大会に出るプロ選手だけの話ではありません。
私自身、すごくオブザベーションにはこだわって取り組んでいます。実際コンペでは、フラッシング形式の予選を経た準決勝、決勝で得意のオンサイト(初見で完登すること)を決めて順位を上げてきた。「1回で登る」ことの重要性は実感していて、これは始めたばかりの人にも伝えたいと。「頭脳」で攻略すると言われるクライミングですが、イメージできる力、考える力がつくと本当に動きの幅が広がり、登れるグレードも上がります。まずは、トライする前にオブザベーションする癖を付けてもらいたいですね。それが上達への一歩だと思います。
その時、トップ選手は何をしている?
頭=課題の“核心”(最重要の攻略ポイント)を見極め、手順と足順を選択する
手=「頭」でイメージした複数のムーブを手も動かしてシミュレーションする
足=とにかく前後左右に動き、様々な角度から壁を見てルートを分析する
POINT.1
まず様々な角度から課題を見る!
何よりも、前後左右に動いて課題全体をよく見ること。スタート位置から見上げる(写真1、2)だけでは見えづらい部分があるので、いろいろな角度からオブザベーションするのが大切です。その上で、ホールドもよく見る。例えばこのタイプ(写真3)は、正面からだと右側を掴めそうと思われますが、実際に移動して確認すると使えないですよね。一方、左側に回ると突起部分がえぐれていて、ここを持てという答えがわかります。“掴みどころ”を知れば、これは右手で、これは左手で、というイメージも明確になる。そしてPoint.2に繋がります。
写真1
写真2
写真3
POINT.2
手順、足順は数手先を想像して!
初心者の方は、次の1手を手前から順番に取りたいと思うもの。この突起が複数あるホールドでは、Aの突起を左手で掴みたくなります。でもそうすると、右手で奥のBを持つことになり手がクロスしてしまう。体が右を向いていて、かつ次のホールドも右方向にあるので、Aは右手で取るのが正解。この見極めをオブザベーションでしておきたいです。
手順:失敗例×
手順:成功例○
足順も同じくらい重要で、足を手より先に送るか、手で取った後に送るか、こちらも事前の選択が大切。写真の場面でも、もし先に足をCに置いていたら、左腕に余計な負担がかかってしまいます。手で取った後に足を送る、が正解ですね。
足順:失敗例×
足順:成功例○
POINT.3
“核心”部を見極めてムーブ選択!
オブザベーションの能力が身についてくると、課題の“核心”=攻略のための最重要ポイントが自然と見えるようになります。写真の課題では、ドーナツ型のホールド。そして、それに対して複数の可能性、この場合は「1. 左手で行き、両手で持ってから右手に持ち替える」「2. 左手で行き、右手をクロスして進む」「3. 右手で取る」というムーブを想像し、選択するわけです。
一見、左手で掴むべきと思いがちですが、実はドーナツの中央に粒があり、両手の持ち替えはできない。
さらに次の進路が左方向なので、持ち替えず右手で行こうとすると腕がクロスしてしまう。
真下のホールドから右側の中継ホールドを使って態勢を整え、右手で取る、が正解ですね。
CREDITS
取材・文 編集部 /
写真 窪田亮 /
撮影協力 Fish and Bird 東陽町
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PROFILE
小林由佳 (こばやし・ゆか)
1987年、茨城県生まれ。13歳でジャパンツアー史上最年少優勝、以降4年間で国内18戦無敗を達成し、若くして日本を代表するトップ選手に。W杯には16歳で初参戦し、100戦以上に出場した。世界選手権でも07年、09年に4位入賞。リードW杯年間6位となった16年シーズンをもって第一線を退いた。