FEATURE 17

独占インタビュー

渡部桂太 世界トップランカーの矜持

急成長?むしろ毎年できないでどうする

年間王者でもない、金メダルでもない。男はその先にある何かを求めている。7戦中5戦を終えたIFSCワールドカップで初戦から決勝進出を継続し、目下2017年ランキングで首位を快走(2017年5月時点)する、W杯参戦3年目の23歳。ステップアップを重ねて今がある、謎めいたトップランカーの強さに迫ろう。

※本記事の内容は2017年6月発行『CLIMBERS #004』掲載当時のものです(インタビュー収録日:2017年5月26日)。
 
 

15年、登り続けた成果が今
世界で3番目…素直に嬉しかった

今日は、渡部選手の強さの秘密に迫っていきたいと思います。まずは、クライミングを始めたきっかけから教えてください。

「登る行為自体、小さい頃から大好きでした。直接のきっかけは小学校2年生の時、家族で行った登山用品店にクライミングを体験するがあって、やってみたら面白かったんですね。親も僕の生き生きした様子を見て、たぶんピンと来たんでしょう。その後ジムに連れて行ったり、店員さんにクライミングができる場所を聞いたりしてくれて」

クライミング以外に熱中したスポーツはありましたか?

「フットサルは少し。でも、イマイチしっくりこなかったんです。『なんでパスしなきゃいけないんだろう?』とか考えちゃって」

なかなか面白い疑問ですね(笑)。

「自分で行けるなら、行ったっていいじゃないですか? やはり僕は団体スポーツがあまり向いていなくて。自己中心なんで(笑)」

ジュニア時代にはJFAユース選手権(08年優勝、10年優勝)、JOCジュニアオリンピックカップ(10年準優勝、11年優勝)などで好成績を収めています。この時からプロクライマーになることを意識していましたか?

「いや、クライミングで生きて行こうと決めたのは2、3年前ぐらいですね。僕は高校卒業後、自動車系の専門学校に進みました。大学に行かなかったのは、おそらく周りに流されてダメな人生になるなと。クライミングを続けたいという気持ちがまずあったので、そのための選択肢として、国家資格が取れて手に職がつけられる専門学校を選びました」

渡部選手といえば、外岩で培ったクライミング能力がコンペでも花開いた、という文脈で紹介されることも多いと思います。外岩の魅力とは何でしょうか?

「僕も所詮15年ほどしかやってないのでおこがましいのですが、常に理不尽なコンディションで登るところでしょうか。ジムでは人間が作った課題に対し、こう登れば、こんなテクニックを使えば、といったやり方がありますけど、岩には一切ない。どんなふうにやってもいいし、決められたスタートから始めなくてもいい。自分が感じたようにトライして楽しむ。本当に自由なんですね」

よく行かれるのは東海エリアで?

「ええ。愛知県なら豊田、鳳来、岐阜県なら瓢、恵那、三重県なら宮川、熊野など、だいたいその辺で。それぞれの岩場に良さがあります」

2015年には念願だった日本代表に選出されました。その時の心境を教えてください。

「その選考大会にもなった深谷の(ボルダリング)ジャパンカップは、準決勝が1位で、決勝は(杉本)怜くんに負けて2位だったんですけど……僕の目標は日本代表になることだったので、本当にもう決勝に行けただけで満足してしまって。決勝の1課題目を登った後は、びっくりするぐらい気力も体力も残ってなくて抜け殻状態だったのを覚えています。代表に選ばれた後の先のイメージを持てていたら、2015年のワールドカップでも準決勝や決勝に進出できたかもしれません。僕は心と体のコントロールが表裏一体で、メンタルの準備がきちんとできていないとパフォーマンスもイメージ通りにならないんです」

今年のW杯初戦、スイス・マイリンゲンで3位に入賞した際には、「15年続けてきたロッククライミングが報われた気がしました」とブログに胸中を明かされていました。

「それはもう、15年間の全部で。クライミングをやる上では、親がいて、ジムがあって、ジムのスタッフやお客さん、それ以外にも僕を応援してくれる人、小さい頃から見てくれた人がいて、今があるんです。ワールドカップで表彰台に立つことは自分としても悲願でしたけど、そうなることで、僕に関わってくれた人たちのモチベーションにもなれたのかなと。少しだけど、恩返しができたんじゃないかって。『あいつにメシおごっておいて良かった』と思ってくれたりとか(笑)。15年間は無駄じゃなかった。マイリンゲン大会を振り返ると、反省点はいろいろありますが、世界で3番目になれたというのは間違いない事実なので、素直に嬉しかったですね」

 

W杯王者も金メダルも通過点
「うまい」「美しい」…表現者として

W杯では、初参戦の2015年がすべて予選落ちで年間56位、16年は準決勝に3回進出して23位。そして今季は現時点で1位。ただ、「急成長しましたね」と言われることに違和感があると、八王子大会の時に話されていました。

「最終的には観るみなさんがどう思われるかであり、こだわりはないのですが、『急成長』という言葉は自分的に全然しっくり来ていません。コンペの順位は相手あっての結果なので、自分自身としてはまったく急成長したとは思っていません。むしろ毎年成長できないでどうするんだと思っていますし」

自分としては着実にステップアップしてきたと。順位は相対的なものだと。

「表現としては簡単ですよね、『急成長』とか『躍進』とか。でも、本人が感じているものは別のところにあって。今の自分の順位が計画通りというわけではないのですが、自分なりに次に備えて、ステップアップを積み重ねてきて、今があると考えています」

これも以前の新聞記事からで、

「ワールドカップ王者は自分にとって通過点。自分にはもっと大きな目標がある」

というニュアンスの発言をされていました。今日うかがいたかったテーマの一つでもあるのですが、渡部選手がクライマーとして目指している最終地点とは?

「それ、僕もわかんないです(笑)。自分にもはっきり見えなくて、すぐ先にある感じではないんですよね。いつかは言葉にできればと思うんですが……。ちなみに会社だったら、ノルマがあって、目標がありますよね?」

ええ、あります。

「それは、一人じゃなくて組織で動くので必要だと思うんです。ただスポーツの場合、大会の成績はもちろん大切なんですけど、いちパフォーマーとしては、それを簡単に作ってはいけないとも感じていて。それって限界を作っていることと同じなので」

例えば、W杯の年間王者になる、とかはゴールではない?

「全然ゴールじゃないですね。それがゴールならば、クライミング辞めちゃうんじゃないですかね。支えてくれるみんなのために勝ちたいという思いはもちろんありますが、自分が続ける理由にはならないですね」

となると、オリンピックの金メダルも目標でなく、その先にある何かを探求していると?

「そうですね。もちろんワールドカップやオリンピックの優勝が簡単だと言っているわけではない。物凄く難しいはずです。でも難しいからこそ、そういったものの先に何かあるんじゃないか?って思うんです。それを追求することに僕はすごくモチベーションがある。そこがブレない限り、そのためのプロセスも手は抜かない。飛び級もできないので」

野中生萌選手や楢﨑智亜選手は「世界一強いクライマー」になりたいという趣旨の言葉を残していますが、その感覚に近いですか?

「自分の中では強いという言葉があまりしっくりこなくて。それよりは『うまい』とか『きれい』、『美しい』とか、思わず見とれてしまうようなものに憧れます。強さって見とれない時があるじゃないですか? 野球にも、球速はそうでもないのにキレが半端じゃないピッチャーがいますよね。そういう部分に惹かれているのかもしれません」

先日引退した浅田真央選手が一時期、「パーフェクトな演技をしたい」とよく言っていました。彼女の中に完璧なスケーティングという理想像があって、それを追っかけていた。

「近いですね。だいぶ近い。クライミングは採点競技ではないですけど、見る者を魅了するクライミングってあるんですよね。明確には言葉にできないんですが、コンペの成績や他人の評価ではない、表現者としての物差しが自分の中にあると感じています」

スポーツクライミングが五輪種目になったことに関しては、どんな感想をお持ちですか?

「クライミングが持つアドベンチャースポーツという側面が正しく認識されるのか?という点を考えると、正直なところ少し不安はあります。出場に関しては、もともとオリンピックを目指してクライミングをしてきたわけではないですし……ただ、自分にチャンスがあると感じたら、それは責任感を持って取り組みたいです。でも、僕よりもっと可能性がある選手がいれば、その選手が出た方が絶対に成績は良いでしょうし、純粋に応援もできる。僕はスポーツのそういうところが重要だと思っています。商売じゃないんで。その辺の線引きは人によって違うでしょうけど」

 

僕は…ターミネーター(笑)
年間優勝、がちがちに獲りに行きます

5月のW杯八王子大会について、もう少し聞きたいと思います。決勝の最終課題は3アテンプト以内で完登できれば優勝という状況でした。アテンプトの計算は頭に入っていました?

「最終課題は登ることしか考えていませんでした。完全に苦手系だったので、3回目までに……とかじゃなく、登れるか、登れないか。結局4回目までトライして落ちましたが、1ミリも諦めていませんでした。僕は優勝できないから諦めるなど、まったく考えたことはありません。それは全戦に予選落ちしていた2年前からまったく変わってないです」

平山ユージさんに渡部選手に対する印象をうかがってきたのですが、「今、一番課題に向き合えている選手」であり、「1回のクライミングから得られるフィードバックの量が多い。ゆえに、1トライ目がダメでも2トライ目、2トライ目がダメでも3トライ目と修正力が高いので、完登数が多くなり、安定した成績を残せているのでは」と分析されていました

「安定して結果が出せている点では、平山さんのおっしゃる通りだと思います。課題に集中して、必要な能力を取捨選択して判断することは意識しています。平山さんはワールドカップ年間王者を2回獲られていますよね。2回獲るって、その時代に図抜けて強かったとしても難しい。それはプレッシャーや孤独感に打ち勝つ強さなど、技術と体力以外の要素が必要になってくるんだと思います。今の平山さんの言葉は持ち帰りたいと思うくらい、いい言葉だなと感じました」

「1回のクライミングから得られるフィードバックの量」というのは、平山さんならではの視点だと思われました。

「平山さんはご存知の通り、様々なタイプの岩でクライミングされていますよね。やっぱり岩だと一発のトライに懸ける集中力が凄いですし、もっと言うと、その一発のトライ前にどれくらい課題を見て情報を得られるかという能力が大切なんです。僕がコンペでワントライする前のオブザベーションが長いのも、それを重視しているからです」

確かに、他の選手と比べて長いですね。

「やっぱり課題を目の前にした時に一番集中できるので。もちろん早いに越したことはないんですが、焦って失敗するよりは確実に時間をかける。頭の回転が速くてオブザベも短く済む人がいると思うけど、僕の場合はMAXレベルで頭を回転させながら、あの時間がかかっているので、自分としては無駄な時間だと思っていないです」

クライミングをする上で、渡部選手が一番大切にしていることは何ですか?

「初心を忘れないことですね、完璧に。純粋な気持ちを持ち続ける。なぜクライミングを始めたのか、やはり楽しかったからですよね。それを常に忘れずいることで、自分のスタンスを見失わずにいられる。そういう根っこにあるパッションは大切にしつつ、競技中は冷静に自分をコントロールできるタイプだと思います。トータルして言うと、冷静なのか、頭脳派なのか、僕はボキャブラリーがなくて……なんかありますかね、カッコイイの。クライミング界のターミネーターとか(笑)」

今シーズンのW杯は残り3戦ですが、ライバルを挙げるとすると?

「それはやっぱり(楢崎)智亜ですね」

渡部選手から見てどこが凄い?

「僕に持ってないものでクライミングしているから、驚きでしかないですよね。僕は日本のクライマーで自分が一番、運動神経がいいと思っていたんですけど、2年前のジャパンカップで彼を見た時は『ああ、コイツには負けたわ』と衝撃で。僕や沼尻拓磨くんを運動神経で超える奴が出てきたなと」

ずばり、年間王者は獲れそうですか?

「まず全部の決勝に行きたい。コンスタントに結果を出すためにも、決勝に残り続けることで次に繋がるイメージが持てますよね。そこにはこだわりたい。そして年間優勝は、自分にとってだけでなくて、これまで僕を支えてくれた人たちにとっても重要なので、獲りに行きますよ。がちがちに獲りに行きます」

CREDITS

インタビュー・文 編集部 / 写真 永峰拓也 / 撮影協力 ビッグロック名古屋店

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PROFILE

渡部桂太 (わたべ・けいた)

1993年8月30日、三重県四日市市生まれ。小学2年でクライミングを始め、当時から東海地方の岩場で挑戦を続けてきた。コンペでもJFAユース選手権で08年、10年に優勝するなど好成績を収め、15年にはジャパンカップで準優勝、W杯参戦を果たす。17年はジャパンカップで準優勝すると、W杯初戦で3位に。中国・南京での第3戦では初優勝を飾り、自身最高の年間4位でシーズンを終える。

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