FEATURE 157
パリ2024オリンピック|スポーツクライミングで日本勢の活躍は? 選手のコーチでセッターの宮澤氏が展望語る
いよいよ始まるパリ2024オリンピックでのスポーツクライミング競技。日本人選手が出場するボルダー&リード種目について、日本代表の楢崎智亜、野中生萌のボルダーコーチを務め、ルートセッターとしても活動する識者の宮澤克明氏に、ボルダー&リードの展望などを伺った。(写真は公式練習のもの)
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いよいよスポーツクライミングの競技スタート
“世界最強が決まる”
いよいよパリオリンピックが開幕します。スポーツクライミングは東京オリンピックに続いて2度目の採用となりました。
「今回はスピードとボルダー&リードに分かれました。スピードはスピードだけに取り組んでいる選手が多く、ボルダーとリードは近しい競技なので、各種目で世界最強の選手が決まるというワクワク感があります」
宮澤さんは5月に上海、6月にブダペストで行われたオリンピック予選シリーズ(以下OQS)を現地で観戦されました。盛り上がりはいかがでしたか?
「設備や盛り上がりは、もうオリンピックなんじゃないかというぐらいの規模でした。他にスケートボードなど人気の競技と一緒に開催されていましたけど、スポーツクライミングはその中に入っても負けないというか、かなり注目されている競技なんだと感じました」
パリオリンピックに出場する日本人選手4人について教えてください。宮澤さんがボルダーのコーチを務める楢崎智亜選手はどんなクライマーですか?
「28歳となり成熟してベテランの域に入ってきていますが、ダイナミックだったりトリッキーだったりするコーディネーション系の動きは依然として世界トップクラスです。『クライミングって、こんな動きをするの?』『壁の中でこんなに複雑な動きができるの?』と思わせるようなムーブが持ち味です」
コーチだからこそ感じる部分はありますか?
「常に前向きで、すべてに対して『やってみましょう』とチャレンジ精神がある。こんなにアスリート向きの性格のやつって他にいるの?と僕はいつも思うんですよね。トップクラスの地位にいながら、より強くなることに貪欲でいられることは才能です。東京オリンピックでの4位という順位は彼にとって失敗で、その結果を引きずる姿を見てきました。それまでの智亜の強さって、少年のようにキラキラしたポジティブさにあったんです。自分が強くなりたい、世界最強になりたいという気持ちで、ひたむきに登っていた。ただ、オリンピックは自分自身のためというよりも、周りからの期待に応えなくてはいけないんだという気持ちが押し寄せてきて、あのリザルトにつながったと思うんです。『オリンピックの借りはオリンピックで返す』と本人の口からも出ているように、自分が何をすれば日本のクライミングシーンがもっと盛り上がるかを今は理解しているし、東京ではコントロールできなかったパワーを今はコントロールできている。トレーニングを見ていてそう感じます」
もう1人の男子代表、安楽宙斗選手はどんなクライマーですか?
「大会という限られた時間の中で、なおかつオンサイトで課題に挑むことにこの若さで特化している天才だと思います。大会に強い、というのは悪い意味で言っているわけではありません。宙斗はクライミングIQが非常に高いと思っています」
“脱力系クライマー”ともよく言われていますよね。
「脱力系というよりは、この前も本人と話したんですが、体の位置がここにあったほうがいい、とフィーリングで探っていける。パワーで押し切るというよりは、無駄な力を使わずにコースの流れに乗っていけるんです。宙斗が登るとどんな課題でも簡単に見えるんですよ」
ポジション取りがうまいですよね。
「抜群にうまいです。脱力が先行しているわけじゃなくて、脱力して(ホールドを)持てるポジションを見つけるのがうまいですし、そこに入っていくこと自体もうまい。結果、脱力できているだけだと思います」
女子の野中生萌選手はどんなクライマーでしょうか? 彼女も楢崎選手同様に、宮澤さんがボルダーのコーチをしていますよね。
「いい意味で女子らしくないというか、一目見るとファンになってしまうような力強い登りをします。(最後のオリンピック選考大会となった)OQSで決め切るという勝負強さもありますし、メンタル力も備わっている。年齢を考えたら、生萌はオリンピック出場メンバーの中で上のほうだと思うんですけど、僕からしたら今が一番強い。それでいて伸びしろもまだまだ感じています」
圧巻の持久力でリードに強い森秋彩選手についてはいかがでしょうか?
「今年、久々にリードのワールドカップに出場して、世界中が『今の秋彩ちゃんって、実力はどうなんだろう?』と思っている中でしっかり優勝、あるいは表彰台という結果を残しましたから、リードでの揺るぎない安定感を感じます。オリンピックでもリードで着実にポイントを取っていく姿が容易に想像できますね」
セッター視点で見たボルダー&リード
パリオリンピックのために設けられたボルダー&リードというフォーマットを、ボルダーのルートセッターとしても活動している宮澤さんはどう見ていますか?
「1つのゾーンとトップホールドがある普段の公式大会とは違って、5点、10点、25点と“3つの山場”をつくらないといけないので、手数が増えて課題が長くなります。しかも5点のホールドなんて、本来であればほとんどの人が落ちなくていい位置にあると思うんですよ。そこを、落ちるかもしれない難易度に設定しないといけない。となってくると、設定できるムーブってそんなに多くないんです。OQS第1戦の上海ではその辺があべこべだったと感じたんですが、第2戦のブダペストではある程度セッターたちが割り切って『このムーブを出そう』とテンプレート化したと僕は思っているんですね(編注:OQSのセッター―チームはオリンピック本番と同じ)。それに気がついた選手は、そこにフォーカスしてトレーニングしているんじゃないかと思います」
オリンピックの競技壁は公開されていて、使用されるホールドのメーカーも決まっています。そうするとどんな課題が出るのか、選手や関係者の間では予想しやすいですよね?
「はい。僕も実際にある程度の予想をして、選手にトレーニング用の課題をつくっています」
ボルダー&リードというフォーマットの中で課題をつくる難しさをどう感じていますか?
「ボルダーの課題は、普段の大会ではゾーンとトップそれぞれに達するのに同じ難しさ、もしくはゾーンのほうが少し難しいムーブを求めることが多いんです。トップに関しては、ゾーンを越えないとチャレンジできないので、ゾーンに対するトライ数よりも少ないトライ数で攻略しないといけない。そういう難しさがあると思っているんです。しかしボルダー&リードはポイント制です。ゾーンも2つあるので、5点のゾーンより10点のゾーンを難しくしないといけないし、25点はもっと難しくしないといけません」
確かに得られるポイント数が違うと、難しさの違いも明確にすることが求められそうですね。
「5点と25点のパートで同じムーブの難しさにしたらおかしくなりますよね。5点のゾーンを越える選手が20人いたら、例えば10点越えは10人、25点は5人とふるいにかけていく。セッターとしてはこの構図をつくるのが難しいだろうと感じています」
なるほど。
「トップ付近になればなるほど、複雑なムーブの設定がしにくいんです。課題をつくり込む上で、スタート付近が一番簡単なんですよね。両手両足を置くホールドが決められた“4点スタート”である以上、スタートポジションをセッター側である程度制限しやすいですから。これがトップになると下からつながってきたホールドたちがいる中で『いま手で持ってるホールド、足で踏めそう』とか『このムーブを設定したかったのに、このホールドを使われちゃう可能性があるな』とセッターは思うんです。それによって、最後のムーブがテクニックなどではなく単なる距離の遠さでの難しさになって、身長の高い選手だけがポイントを取るという不公平感のある展開になりがちです」
リードについてはいかがですか?
「リードは下部からのムーブの積み重ねがあるので、そこまで悪くしなくても持久力的な部分で人は弱ってきますから、リードのほうが順当になりやすいのかなと思いますね。ただ、1手につき4ポイントを手にできる残り10手、つまり60点までは登らせて、残りの40点はリードに強い選手だけが取っていける展開をセッターたちは望んでいるかもしれないですが、ボルダーの点差によっては40点じゃ意味がなくなることもあるので、ボルダーとリードの難しさのバランスを保てるかがポイントになりますよね。ボルダーとリードのどちらか一方がやさしいという展開が、オリンピックで起きないことを願います」
男子は拮抗、女子にはゲームチェンジャーの存在あり
ここからはメダル予想を伺っていきます。
「男子は予想が難しいんですが、メダルだったらコリン(・ダフィー/米国)と、もちろん智亜、宙斗。そしてサム(・アベズー/フランス)とイ・ドヒョン(韓国)。この2人はボルダーとリードの実力的なバランスがいいですよね。あとはやっぱりアルベルト(・ヒネス・ロペス/スペイン)かな」
アルベルトには2連覇が懸かっています。
「彼はオリンピックの神に愛されていますから(笑)。オリンピックが絡む大会になると途端に強くなりますからね」
最初にコリンを挙げたのは? もともとリードを得意としていますが、ボルダーでもワールドカップで優勝経験があります。
「元来のリードの強さに加えて、先ほど言ったようにボルダーの25点パートがパワーだったり距離が遠い大味のものになりやすいとなった時に、対応してきそうなんですよ。コリンはそれほど背は高くないですが、とんでもないフィジカルと爆発力があるので、ワールドカップよりもオリンピックでのボルダー課題のほうが相性は良さそうだと考えています」
日本人選手が金メダルを取るにはどのような展開が理想ですか?
「智亜はボルダーで圧倒的な差をつけること。4完登がマストですよね。リードで60点ぐらいが取れれば、という状況に持っていけるように、ボルダーでポイントを稼ぎたいです。宙斗はリードでポイントを取りやすいですが、さすがにこのメンバーになってくるとリードも自分と同等、もしくはルート内容によっては自分より強い選手がいるかもしれません。複合である以上、ボルダーで優位に立ち、その差をリードでキープする展開がいいですね」
金メダルのカギはボルダーですね。
「だと思います。OQSを見ていても、男子は特にリードで90点以上を取る選手がいるラウンドがいくつかあったと思うんですよ。一方でボルダーは90点以上のラウンドがほとんどありません。リードで差がそこまで生まれないとなれば、ボルダーでのポイント差が結果に直結するんじゃないかなと思います」
女子のメダル候補については?
「ボルダーもリードも異次元の強さがあるヤンヤ・ガンブレット(スロベニア)が最有力でしょうね。ゲームチェンジャーの彼女がいる女子は、男子とはワケが違います。男子は実力が拮抗しているので、課題の難しさはOQSの時と変えなくてもいいんです。ただ、女子はOQSとがらっと変えないといけない。OQSにいなかったヤンヤが入ってきますから。OQSで女子の課題はやさしかったと思うんですよ。ボルダーは90点以上が6人ほどいるラウンドもありました。それと同じ難易度設定だったら、もう100点が何人もいる状況になりかねません。ヤンヤがいることで、下位の選手たちの獲得ポイントにも影響が出てくるんです。ボルダーがそこまで得意じゃなくてもOQSで25点を取れていた選手は、パリで25点を取れる可能性は少ないと思います」
東京オリンピックのように、ほとんどの選手が登れないという可能性は?
「その可能性もあると思います。ただ、やっぱり競技会なので、順位が決まることのほうが大切です。やさしいか難しいかで言ったら、難しいほうが僕は正義だと思っています。セッターの心理的にはやさしくするほうが怖いんですよね。セットに迷ったら難しくしようとしがちなんです。そうなってくると、下位の選手たちに構っている暇はない。25点へのムーブは間違いなく難しくなります。ボルダーはハードでパンチが効いた内容になると思います。もちろん、“ちょうどいい難しさ”が一番なんですが」
そうすると、野中選手のボルダー力が発揮されることも当然考えられますよね。
「はい。他にボルダーが得意なオリアーヌ(・ベルトン/フランス)もヤンヤについていける力があります。ボルダーのレベルがヤンヤに合わせてグッと上がり、パワフルでフィジカル的な要素が必要になってくると、ボルダーを得意とする選手にとってはありがたいはずです。もちろんリードもレベルは上がると思いますよ」
リードも含めると、ヤンヤの他にメダルの可能性がある選手は?
「生萌、オリアーヌ、ナタリア(・グロスマン/米国)、ブルック(・ラバトゥ/米国)に、秋彩ちゃん、ラク・チリョ(中国)あたりだと思います」
日本勢でいえば野中選手はボルダーで、森選手はリードでヤンヤについていける存在ですよね。特に森選手は近年の成績を見えるとリードなら上回る可能性は十分にあります。
「ただ、金メダルのことを考えると、ボルダーとリードの両方でついていかないといけません(笑)。いずれにせよ、各選手が最高のパフォーマンスを発揮して、その上でその日、世界で一番強かったと言える人が勝つ。その舞台を見られたらいいなと思っています」
CREDITS
インタビュー・文 編集部 /
写真 © Jan Virt / IFSC
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PROFILE
宮澤克明 (みやざわ・かつあき)
クライミング関連事業を手掛ける株式会社8611の代表取締役。世界中から著名クライマーや代表チームが集うボルダリングジム「B-PUMP OGIKUBO」を運営し、課題を生み出すその腕には定評がある。パリオリンピック代表の楢崎智亜、野中生萌にボルダーを指導するなど、多方面で活躍している。