FEATURE 131

独占インタビュー

藤井快 パリへの覚悟


ここから先、覚悟を決めたヤツらには勝てない――。2021年にプロへの転向という大きな決断した藤井快は、BJC優勝、W杯年間2位、世界選手権優勝と結果を残し続けた。シーズンを通して試合前の心の持ちようなど考え方に変化があったという29歳が口にする“パリ五輪への覚悟”。その視線は、早くも2024年に控える大目標へと向けられている。

※本記事の内容は2021年12月発行『CLIMBERS #022』掲載当時のものです(インタビュー収録日:2021年11月26日)
 
 

五輪で感じたメダルの可能性
「モチベーションはしっかり作れた」

 
本日はよろしくお願いします。まずは夏に行われたビッグイベント、東京五輪を見て何を感じたか聞かせてください。

「自分の結果が関係ない分、それだけに集中して見られるので、完全に観る側の立場で楽しませてもらいました。地上波のテレビでクライミングが見られることには純粋に驚きましたし、ニュース番組でも取り上げられ、出場していない僕にもコメントを求められたりして、クライミングはすごく期待されているんだと感じましたね」

刺激にはなりましたか?

「日本男子がまさかのメダルなしに終わったことは本当に残念でしたけど、『僕にもチャンスが巡ってくるかな?』と自分にもメダルの可能性はあるんだと少し思えてしまいました。僕の年齢を考えれば2024年のパリ五輪、そのもう一つ先まで行けたらいいなとは思いますけど、今目標としているのはパリになるので、そこへ向けたモチベーションはしっかり作れたと思います」

五輪前後で何か意識が変わったことはありますか?

「僕はもう1年近く前に出られないことが決まりましたし、そこから次に向けて切り替えないといけなかったので、その切り替えを早い段階でしていた分、大きな心境の変化はなかったですね」

五輪後の9月にロシア・モスクワで行われた世界選手権でのボルダリング優勝、おめでとうございました。今年の世界選手権はどのような大会と捉えて臨みましたか?

「ありがとうございます。五輪に出場しなかった選手は世界選手権を目標にしていたと思いますし、もちろん僕もその一人だったので、今年取りたい目標でした」

五輪が直前にあった分、普段以上に気合が入っていたりしましたか?

「そこまで大きく左右されることはなかったと思います。でも、普段と違って(コロナ禍のため海外でのW杯から帰国後の)隔離生活がありましたし、自分はどういうクライミングをしていきたいのか、どうしていけば強くなれるのかを考える、自分自身にフォーカスする時間が増えていたとは思いますね」

 

 
 

調子が悪いと結果は良い
「僕は基本的にネガティブ」

 
ボルダリングの予選は全5完登して首位タイで、準決勝は3位で通過となりました。手ごたえはありましたか?

「なかったですね。予選前日の最終調整であまりにも調子が悪くて、これはマズいなと。予選落ちも覚悟していたので、自分でもどうしてこのような結果になったのかわからないのが正直なところです。ベストを尽くしたら結果がついてきたという感覚で、ボルダリングは事前の調子の良し悪しは関係なく、競技中のことだけがすべてだということを思い知らされた大会でした。いつも予選落ちするかもとか、準決勝ダメかもとか、それで決勝はうまくいかないことが多かったので『今回もダメかもな』という気持ちでアイソレーションに入っていったんですよね。僕は基本的にネガティブなんですよ(笑)」

過去にもそういうことが多かった?

「大会中にトレーナーの方からケアを受けている時にも『今回こそダメですよ』とか『さすがにまずいですよ』みたいな話をよくするんです。でも今年に関しては結果的にそこそこの成績を残せているので、周りからは『これは調子がいい時のやつだ』というようにフラグが立ったと思われてるみたいで」

直前まで調子が悪くても実際の結果は良いということで「フラグが立った」とよく言われると。

「はい。『調子が悪い』と言うと、『あ、出た出た。大丈夫です、いつもそう言って結果が良いので』って最近は言われるようになりました(笑)。でも、僕自身はいつも紙一重で戦っている感じなんですよ。『万が一全然登れなかったらどうしよう』『思い通りに動けなかったらどうしよう』とか、そういう不安って選手は必ずあると思うんですよね。僕もそうして戦ってきたので、そういう思いが強過ぎた時は成績が空回りしたり、パフォーマンスが発揮できなかったことが多かったと思います。でも、実際はホールドが持てれば登れますし、動きがこなせれば登れる。それって結局自分にもわからないし、誰にもわからないことなので『やってみないとわからないしな』『やってみてからどうするか考えよう』という考えに2021年から変わったんです」

不安にはなるけれども、そういう考え方をしようというふうになったと。

「準備すればするほど、せっかく準備したのに全然ダメだったなって、テストの勉強でも仕事のプレゼンでも何でもそうだと思うんですけど、失敗したくないという思いが強くなり過ぎて不安になるんですけど、『5分後の自分に期待しよう』という感じで少し柔軟に考えるようにしました」

 

2021年からというお話でしたが、具体的に何かきっかけが?

「常に不安な状態で戦っていた中で、結果的に2021年はすごくいいパフォーマンスができた大会がたくさんあったことでしょうか」

ボルダリングジャパンカップ(BJC)では4度目の優勝を果たされました。

「W杯でも準決勝の最終課題を完登してギリギリで通過できたとか、そういうトライも増えたので『本当にやってみないとわからないんだな』ということを経験したのが大きいですね。なのでメンタルを変えようというよりは、不安だったけど、実際にやってみたらこうだったという経験が積み重なっていった結果、『まあ、何とかなるか』という楽観的なメンタルにいったん落ち着いた感じです」

話を世界選手権に戻しますが、決勝6人のうち藤井選手のみがゾーンに到達、さらに一撃した第1課題についてお聞きします。他選手の多くは序盤のスローパー、特に(一連のスローパーの)2手目の上部を押さえるような形でアプローチして苦戦していましたが、そこを藤井選手はピンチで保持していました。最初からそうしようと考えていたのですか?

「この課題の設定はキャンパシングによるコーディネーションで、1・2・3・4・5みたいな(連続したリズムの)感じだと思っていたんです。でも僕ってオブザベーションする時のイメージがあまりにも最強過ぎて、何でもできそうに見えちゃうんですよ。実際はできないんですけど(笑)。なので最初のスローパーを右手で持った時にどうやって動くか決めようと考えていました。そうしたら『あ、すごい持てるな』と思って、体の引き上げがすごく良かったので、そのまま上に行ってみようとした結果がああなりました」

コーディネーションする必要はないと思った?

「『なんか上で止まりそうだな』と思って手を出してみたら、それがうまくハマった。たまたま僕がそのホールドに対していい形で入れたという、本当に奇跡的な一手でした」

 

世界選手権2021の男子ボルダリング決勝。第1課題を唯一完登して勢いに乗った(写真:Nikita Tsarev)

第3課題の緩傾斜課題も一撃。他に登り切れたのは楢崎智亜選手のみでした。世界選手権後に野口啓代さんが『藤井選手はスラブを大の苦手にしていたけど、今では世界選手権の時のように他の選手のほとんどが登れない課題を完登するくらい実力がついている』と話していました。ご自身でもスラブのレベルは上がったと思いますか?

「そうですね。昔は取りこぼすことのほうが多かったです。決勝だと4本中1本はスラブ課題が出る可能性があって、そこを登れないのはもったいないなと2013、14年頃から本格的に取り組み始めました。保持力に依存しやすい強傾斜課題と違ってスラブのほうがいろいろと意識を向けながら練習がしやすい。膝の位置だったり、立つ時の感覚だったり。不安定なところに片足で立って体幹を使うトレーニングをやっていてそれも効いているとは思いますけど、どひけー(土肥圭太)や佐野(大輝)君、智亜、渡部(桂太)といったスラブがうまい人たちと一緒に登ったり、試合で見たりして彼らの技術を学んだりもしました。あとは、2020年末くらいからシューズを踏み感の良い『ハイアングル プロ』に変えたことも大きいと思います」

スラブが苦手だというクライマーは多いと思いますが、彼らにアドバイスを送るとしたら?

「足を全面的に信頼すること。腕に頼らない登りをしたほうがいいですね。足で立っている感覚がわかるスラブや傾斜が緩い垂壁でウォーミングアップする時に、腕に頼らず足で立ち上がる感覚を染み込ませることだと思います」

決勝はその後、全課題を完登して世界選手権初優勝となりました。

「今回は本当に予選落ちすると思っていました。8月に入った頃から全然調子が上がらなくて、思い通りに登れなくなってしまったんです。正直クライミングしたくないなっていうくらいメンタルが落ちていたんですよ。でも『行ってしまえば何とかなるよ』と周りの人から言われて、とりあえず行ってみたらすごくいいパフォーマンスが出たので、どちらかというとあっけに取られてしまったというか、『あれ?』みたいな感じで、あまり喜びは爆発しませんでした(笑)」

 

初優勝した世界選手権の表彰台。左は2位の楢崎智亜(写真:Nikita Tsarev)

世界選手権のボルダリングは2016、19年の楢崎智亜選手、18年の原田海選手に続く日本男子の4連覇となりました。

「日本人は誰にでも勝つチャンスがあると思えるくらい強い選手が多いです。外国でも強い選手は多くいますけど、日本人のほうが普段の練習での実力がすごく高くて、あとは大会でそれを出せるか出せないかの問題。練習で僕より登れている選手はいますし、そういう可能性をみんなが秘めていると思うと、本当に嫌になりますね(笑)」

日本人選手は海外勢と比べてセッションが好きなイメージがあります。

「人と登ることでいろんな学びがあると思いますし、自分一人だったらあきらめていたところを誰かと一緒にいることでできるようになる場合もあるので、そのあたりはいいなと思いますね。あとは日本人のほうが危機感を持って練習しているという印象があります。海外ではどの国でもエース級に強い選手がいると思うんですけど、反対に言えば脅かされる心配がないのかもしれない。次に台頭してくる選手が日本にはいくらでもいる。海外だと国内大会に出れば勝てちゃうような選手も、BJCだと初戦敗退や準決勝敗退も考えられるし、上位に入って代表権を得ることも難しい。日本の選手は常に危機感を持った状態で試合に出なくてはいけないので、やっぱり普段の練習からの意識が高いのかなと思います」

 
 

パリでの金へ、プロ転向
覚悟を決めたヤツらに勝てない

 
2024年のパリ五輪に向けた話も伺いたいのですが、今回の優勝で五輪選考大会になるとされている2023年の世界選手権ベルン大会の出場権をほぼ確実とされましたよね。

「おそらくボルダリングには出られると思います。リードの枠も取れれば文句なしだったんですけど」

あらためて、パリ五輪の出場についてどう考えているのか教えてください。

「僕の選手としての集大成をそこで迎えたいと思っています。出場はもちろん難しいと思いますけど、パフォーマンスさえ上げていければ結果はついてくると思うので。目標はもちろん金メダルです」

 

スピードをやめて、取り組む種目がボルダリングとリードの2つになりました。以前の競技環境に戻ったという言い方が正しいのかもしれませんが、そのメリットは大きいですか?

「どうですかね。スピードがあったからリードとボルダリングが強い選手にも穴があった感じなので、逆に強い選手が増えたという印象です。僕自身もっともっとレベルを上げていかないと食われてしまうことも考えられますし、すごく緊張感が増しましたね」

パリ五輪時には31歳になっています。競技人生の「やめ時」は考えていますか?

「僕はどちらかというと完璧主義なので、パーフェクトを目指そうとなるとそこまで長くはないのかなと思ってしまうので、まずはパリまで。そこから先はみんなが実力的に僕を抜いてくれないのであれば(笑)、頑張ってそのまましぶとく最前線にいたいと思います」

すでに競技引退後の活動で思い描いていることはありますか?

「漠然と考えていますが、子どもたちなど次の世代や、趣味で始めたいという大人に向けて、長くクライミングを続けてもらうためにはどうしたらいいのかを教えていけたらいいなと思いますね」

プライベートでは2020年にお子さんが誕生されました。意識や行動に変化はありましたか?

「何のために頑張っているのかは変わったと思います。僕が結果を残すと喜んでいただける方はたくさんいらっしゃってくれますが、その中で娘や妻が喜んでくれるとやっぱり一番、頑張りがいがあります」

お子さんに一度はクライミングを体験させてみたいと思いますか?

「僕の意思でやらせたいというのはないですね。僕が教えると厳しくなったりして息苦しくさせてしまうと思うので。クライミングのことで関わりたいとは思わないです」

やはりお子さんは可愛いですか?

「可愛いですね(笑)」

 

以前よりも早く家に帰りたくなったり?

「早くなりましたね。ジムでの練習も以前より早めに切り上げて、今では22時には寝るサイクルができています。最近はよくお風呂に入れたり、ご飯の準備をしたりと妻とうまく家事も分担しています」

2021年はそれまで勤めていた(クライミングジムPUMP系列を運営する)フロンティアスピリッツを退社し、(1月から)プロに転向した年でもありました。あらためてその理由を教えていただけますか。

「パリ五輪の存在が一番大きいです。パリを目指す上で、僕には競技1本で頑張っていく覚悟が完全に固まっていないなと感じていました。その世界に飛び込んで、それで僕は頑張る。そういうのを意識的にやらないと、ここから先、僕は覚悟を決めたヤツらに勝てないのかなという思いがあったので、残りの競技人生あと数年、最後に思い切ってこの世界にすべてを懸けてみようと」

2021年はどんな年でしたか? また2022年はどんな年にしたいですか?

「2021年はうまく行き過ぎました。特にボルダリングに関しては。反対にできなかったことが浮き彫りになって、次に向けての課題がたくさん見えたので、来年はどうトレーニングしようかと考えさせられもしましたね。2022年は(パリ五輪の選考が始まる)2023年に向けた1つのステップとして捉えようと思っています」

最後に読者の方々へのメッセージをお願いします。

「2020年、21年はコロナ禍で大会が少なくなり、また無観客が基本だったので、多くの方からの応援の言葉は映像やSNSを通してでしか受け取ることができずとても残念でした。有観客開催に期待ができる来年は、もっといいパフォーマンスをみなさんの前で直接見せられたらいいなと思っています」

CREDITS

インタビュー・文 編集部 / 写真 永峰拓也 / 撮影協力 B-PUMP 荻窪店

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PROFILE

藤井快 (ふじい・こころ)

1992年11月30日生まれ、静岡県出身。TEAM au所属。BJC男子で複数回優勝を唯一記録。2021年1月にプロ転向を果たすと、同月のBJCで4度目の戴冠。W杯ボルダリングでは全4戦で決勝に進出し緒方良行に次ぐ年間2位、世界選手権では初優勝を遂げた。20年に第一子が誕生した愛する家族への想いを胸に、パリ五輪を競技人生の集大成として捉え金メダルを目指す。

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