FEATURE 13

独占インタビュー[前編]

杉本怜 W杯ナビムンバイ大会準優勝の追憶

4年前のミュンヘンとは異なる、
確かな足取りで掴んだ表彰台

6月24、25日に開かれたボルダリングW杯第6戦ナビムンバイ大会で、左肩の怪我から見事に復活し、準優勝を果たした杉本怜(すぎもと・れい)。日本代表の選手会長を務める北の大地出身の25歳に、4年ぶり自身2度目の表彰台に立ったインドでの戦いを振り返ってもらいました。

※このインタビューは2017年7月21日に収録されました。
 
 

困難続きで幕を開けたナビムンバイ大会

先日のボルダリングW杯第6戦・ナビムンバイ大会で、2013年のミュンヘン大会以来の表彰台に立たれました。あれから約1ヶ月経ちますが、改めて準優勝の思いを聞かせてください。

「今年は昨年の手術からの復帰のシーズンで、目標としてはコンスタントに決勝に残って、2012年や2013年と同程度のレベルまで上げられたらいいと思っていました。それが表彰台にまで登れたということで、自分でも驚いていますし、リハビリがうまくいったというのは素直に嬉しいですね」

試合後のインタビューで『2013年の表彰台とは違った嬉しさがある』と答えていましが、具体的にはどんな違いがあったんでしょうか?

「2013年の時は、その前の年まで決勝には残れるけれど、表彰台には乗れないと葛藤していた時期でした。それが何のきっかけか、いきなりポンと優勝を与えられたというか。ただ、単純に自分のクライミングだけをやってきて、自分の努力以上の成績をいただけたという感覚でした」

それが今回は違うわけですね。

「2013年の時とは順位が一つ劣ってはいるけれど、リハビリをはじめ、この1年間しっかりとトレーニングを積んで、大会に向けてしっかりと調整をしてきました。自分の中のプラン通りに段階を踏んで登れた表彰台なので、あの時とは違う嬉しさがありましたね」

それでは大会の話に移りたいと思いますが、今シーズンはどの大会も予選はほぼ全完している中で、この大会は3完登と苦戦された印象でした。

「危なかったですね。苦戦した理由を振り返って考えてみると、大会に入るまでの準備だったのかなと思います。今まで大会の2日前に最終調整で体を動かして筋肉を引き締めて、1日前はレストというスケジュールでした。それが今回は飛行機の日程上、大会2日前のフライトだったんですね。それで当日のウォーミングアップも少し足りなくて、第1課題を登った時に『しっかり体が動いていないな』という感覚がありました。実際、第1課題は登れていません。そのあと、徐々に体が動いてきて、第3~5課題は登れています。今までのスケジュールと違うときの準備というのは今後の反省点ですね」

それでは第1課題の時はかなりナーバスになっていたんじゃないですか?

「かなり焦っていましたね。終わった瞬間は仕方ないと思っていたんですけど、後の選手がみんな完登していくので、さすがにこれはまずいと思いました」

そんな中、結局予選は9位とギリギリで通過できました。翌日の準決勝までの準備というのはどうされていたんですか?

「予選が終わった後は、とくにナーバスにならず、準決勝へポジティブに気持ちを切り替えることができていましたね。ただ、関係者はみんな知っているんですが、予選が終わってからものすごく体調を崩してしまったんです。熱もすごく出てしまったので、薬を飲んで寝込んでいましたね。次の日には熱が下がってなんとか大会に臨める状態にはなりました」

そんなことがあったんですか。そんな厳しい状態での準決勝ですが、振り返るとどうでしたか?ここでも第1課題から完登できないスタートでした。

「第1課題は登るべき課題でした。それができなくて、ちょっとやってしまったなと思っていました。でも準決勝は課題の難易度が上がって、どの課題でも登れれば逆転のチャンスがあるものです。だから第2課題では切り替えて、ふり絞って完登できて、第4課題もギリギリで登れました。第1課題ができなくて、逆に『この後で絶対に取り返すぞ』という強い気持ちが生まれて、良いクライミングができたのかなと思っています」

第2課題でも失敗していたらその切り替えも難しくなっていたと思いますか?

「第1、第2と連続で登れないと、なかなか立て直すことは難しかったと思いますね。第2課題で立て直せたのが本当に良かったと思います」

 

見込み違いの決勝課題のなかで引き寄せた“流れ”

年間ランキング上位につけるチョン・ジョンウォン(中)、アレクセイ・ルブツォフ(右)と最後まで優勝を争った

5位で決勝に残りましたが、体調の方は大丈夫でしたか?

「準決勝が終わってホテルでひたすら休んでいたので、決勝の頃にはだいぶ戻っていました」

決勝の課題はオブザベーションではどんな印象でしたか?

「印象としては第1~3課題が相当難しいだろうなと思いました。第4課題はランジのムーブが結構できるなと思っていたんですけど、蓋を開けてみれば逆で第4課題が一番難しかったですね」

実際に第1課題は一撃しています。

「ただ、みんなも一撃しているのでアドバンテージにはなっていないですね。でもその一撃で少し気が楽にはなりました」

第2課題は上位3人と下位3人が分かれる分岐点となる課題となりました。この課題はどんな印象でしたか?

「この課題はスタートの丸いボリュームがあったんですけど、あれは僕が得意なホールドなのでオブザベーションの段階から自信がありました。実際にもうまくいきました。逆にその後のパートが不安で、結構緊張していたんですよ。ただ、そこもうまくいって『今日は調子が上がっているな』と気が楽になって、メンタル的にかなり良かったですね」

かなり良い流れが作れましたよね。

「流れで言うと、順番の流れというものもありましたね。順番的に最初にアレクシーが登って、その後に僕という順番でした。アレクシーは今シーズンずっと調子がいいし、この大会でも良かったので、彼が先に登って僕がそれに食らいついていく。それが良いイメージというか、良い流れに乗れたと思いますね。これが最後の6番手とかだったらまた違ったと思います。6番手だとみんなが登れたり、登れなかったりと情報が多くなりすぎるんですね。それで不安が大きくなってしまうこともあって、メンタルのコントロールが難しい場合もあるんですよ」

流れに乗った第2課題

良い流れができて、第3課題目を3アテンプトで完登しました。

「最初あまりできるイメージがなかったんですよ。何通りか考えられるムーブがあって、オブザベーションの段階でもみんな意見がバラバラでした。正直、僕もあまり登るイメージが湧いていなかったです。ただ、唯一信じたムーブがあって、それがうまくハマりましたね。他の選手とは登り方が違いましたけど、うまくハマってよかったです」

この課題が終わって表彰台は杉本選手、アレクセイ選手、チョン選手の3人に絞られました。今シーズン調子の良い2人を相手にメダルの色を争うのは刺激的な展開でした。

「そうですね。チョンくんは日本にもよくトレーニングに来ていて、一緒に登る機会が多い身近なライバルなので、より刺激的でしたね」

第4課題はどんなことを考えていました?

「この課題はオブザベーションの段階で登れるものだと思っていて、トライ数勝負になると思っていました。ただ、実際にはランジがものすごく難しくてできませんでした」

ここは前のアレクシー選手もできませんでした。

「それで裏でもちょっと雰囲気が『あれ、この課題難しいの?』という空気になっていました。ランジも難しかったんですけど、ランジを止めた後も難しかったみたいですね」

唯一完登したチョン選手も6アテンプトで、時間もギリギリでした。杉本選手の競技が終わった時点でメダルの色は確定しましたが、終わった直後というのはどんな心境でした?

「素直にここまで来られて嬉しいという思いはありましたが、順位はわかっていたので意外と冷静に捉えていましたね。今シーズンはここまで日本は活躍する選手がたくさんいました。それに対して焦らず、コンスタントにここまで持っていこうと、それで来年に向けてさらにあげていこうと、そういう意識でやってきたんですね。そういった中で、自分が目標としていた以上のところに来られたと思うので、やっぱり素直に嬉しかったです」

(インタビュー[後編]に続きます)

CREDITS

インタビュー・文 篠幸彦/ 写真 藤枝隆介

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PROFILE

杉本怜 (すぎもと・れい)

1991年11月13日、北海道生まれ。ユース時代はリードで多くのタイトルを獲得したが、高校2年生で臨んだ2009年ボルダリング・ジャパンカップの3位入賞を機にボルダリングへ本格転向する。同年からW杯に参戦し、13年ミュンヘン大会で初優勝。15年にはジャパンカップを制した。2017年度はボルダリング代表キャプテンを任され、日本選手団を牽引。W杯6戦目ではミュンヘン以来となる表彰台に立つ。

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