FEATURE 16

独占インタビュー[前編]

石松大晟 遅れてきたダークホース

決勝進出と表彰台。2つの目標を達成できたのは、素直に嬉しい

今シーズン、ボルダリングW杯出場2回ながら2度決勝に進出し、表彰台にも上がったのが20歳の石松大晟(いしまつ・たいせい)。高校卒業後に熊本から上京し、ジムで働く傍ら練習に励む毎日。虎視眈々と世界の頂きを目指す九州男児に、飛躍のミュンヘン大会を中心に今シーズンを振り返ってもらいました。

※このインタビューは2017年9月8日に収録されました。
 
 

緊張でガチガチだったミュンヘン大会予選

今シーズンはボルダリングW杯八王子大会とミュンヘン大会に出場され、双方で決勝に残り、ミュンヘンでは表彰台(3位)にも上がりました。石松選手にとって飛躍のシーズンと言える活躍だと思いますが、ご自身ではどう感じていますか?

「八王子では決勝へ残ること、ミュンヘンでは表彰台に立つことが目標でした。そのどちらも達成できたので、素直に嬉しいし、満足していますね」

八王子(5月)からミュンヘン(8月)までの間はどんな思いで過ごされていましたか?

「大会が終わって、ミュンヘン大会に協会の推薦枠で出場できるかもしれないと聞きました。結果次第で来年はもっとW杯に出られると思い、とにかく練習しましたね。実際に表彰台までいくことができたので、本当に良かったです」

初めてW杯の決勝という舞台を経験されましたが、そこから得たものはありますか?

「自分が今まで持っていた苦手意識を感じなくなったことは大きかったと思います」

具体的には?

「緩傾斜が苦手で、八王子大会に向けて結構練習していたんです。八王子の決勝でも登れてはいないんですけど、それでも今までと比べてだいぶ良い登りができたので自信になりました」

 
八王子大会決勝で緩傾斜課題に挑む(写真:牧野慎吾)

自信をつけて臨んだミュンヘン大会ですが、大会前の印象は?

「去年、初めて出たW杯で予選を通過できていた大会なのでいいイメージは持っていましたね。勝負は準決勝からだと思っていて、予選はあまり気を張らずに楽しもうと」

それでは予想通りのシナリオで準決勝に?

「いえ、第1課題から自分でも分かるくらいガチガチでした(笑)。設定されたムーブはこれだなと思ってやろうとするんですけど全然できなくて。練習のときは別のムーブを選択できるんですけど、そのムーブが全く出てこないんですよね。もう頭が真っ白になって焦っていました。そうなるといつもどんどんトライしてしまうので、一旦落ち着こうと。もう一度ルートを見直すことで冷静になれて、やっとムーブが見えてきました」

 
 

友と夢見た憧れの舞台

そこでうまく立て直すことができ、予選は4完登10アテンプトで7位通過。そして準決勝は第1、第2課題を連続で一撃と、かなり良いスタートが切れました。

「この連続の一撃はかなり良かったですね。会場には観客がたくさんいたんですけど、予選を通過できたこともあってそれほど緊張せずに登れました。第1、第2課題は両方得意なムーブだったことも大きかったですね。ここで勢いがついたと思います」

その勢いに乗って、第3課題も2アテンプトと少ないトライ数で完登。

「第1、第2課題を登っているときに、第3課題で強い人たちがみんな落ちているのが視界に入って。だから難しいんだなと。しかも緩傾斜だったのでどうなるか分からなかったんですけど、なんとか2トライでいけました。そこでこれはいけるかもって油断があったのか、第4課題はダメでした(笑)」

それでも決勝が決まった瞬間というのはどうでした?

「表彰台が目標だったんですけど、出場人数がかなり多いなか(編注:男子166名)で決勝の6人に残れたことに『マジかぁ』って(笑)。決勝に緒方良行も残っていたんですけど、彼とは昔からよく一緒に登っていて、『いつか一緒にW杯の決勝に行きたいね』って話していて。それが叶って2人でめっちゃ喜びました」

 
 
ミュンヘン大会では楢崎智亜(右)、藤井快(右から3番目)、緒方良行とともに決勝へ(写真:藤枝隆介)

緒方選手とはどんな話を?

「宿泊部屋も同じで、もう2人してテンション上がって『マジ?マジ?』って(笑)。そんなことばかり言ってましたね」

そして決勝を迎えます。第1課題は唯一の一撃でのスタートでした。

「オブザベーションで怖かったのは第1課題だったんですよ。ホールドの数が少なくて、どう登ればいいのかずっと悩んでいて、実際に登りながら考えていました。それで一撃できたので、振り返るとかなり集中できていたんだと思います」

それだけ悩んでいたというなかで、他の選手とはどんな会話を?

「足を上げる部分でみんな意見が違っていて。思っている登り方と違う意見も出てくるし、余計に混乱してくることもあるんです。でもほんの少しの差なんですよね。踵で乗せるか、つま先で乗せるかとか。オブザベーションが終わったときは踵かなと思っていたんですけど、つま先という選択肢も頭の中にあって、実際に登ってみたらつま先の方が良いかなと。それでつま先で登ったらいけましたね。こういう、登ってみなければ分からない場面も多々ありますね」

第2課題は地元のヤン・ホイヤーのみが一撃で、残り5人は誰もボーナスを掴めませんでした。

「オブザベーションで見たときに、みんなで『これはヤン届くんじゃない?』って話してました。コーディネーション系で智亜も得意そうなムーブだったので、彼がボーナスも取れなかったのは意外でしたね。予想以上に遠くて難しかったんですよ。そこでヤンがいけたので、会場の雰囲気はもうすごかったですね」

一転して、第3課題はまた全員が完登。石松選手も3トライで完登しています。

「ハリボテばかりでムーブが読みづらかったんですけど、2トライ目にスリップ落ちしたときに行けそうだと感じて、次でしっかり踏み直したらいけました。これも嬉しかったですね」

この完登で表彰台争いにもなんとか残れました。

「ただ、第4課題でもしチョンが登れていたら表彰台はなかったんですよね。自分が終わった後に智亜と2人で壁の横から見ていたんですけど、チョンが完登間近で落ちて。びっくりしましたね」

 
 

決勝第1課題を一撃したのは石松ただ一人(写真:藤枝隆介)

 

切磋琢磨できる仲間がたくさんいる

それは表彰台が決まった瞬間でもありましたが、その時はどんな心境でした?

「表彰台が決まって、智亜と抱き合いました。なんていうんですかね。今まで感じたことのない嬉しさでした」

同世代の楢崎選手は去年から目覚ましい活躍を続けていますが、彼と同じ表彰台に上がれて、ようやく肩を並べられたという意識はありますか?

「そうですね。だいぶ近づけて来たのかなと思います」

やっぱり彼の存在は大きい?

「大きいですね。智亜のほかにも緒方、(藤井)快さん、(楢崎)明智とか結果を残している選手がたくさんいるじゃないですか。その一人ひとりが刺激になっているというか、切磋琢磨できる仲間がたくさんいる。自然と互いの存在がモチベーションを維持し合う関係になっていると思います」

 
 
ミュンヘン大会表彰台=左から楢崎、ホイヤー、石松(写真:藤枝隆介)

表彰台に上がった経験から何か変わったことは?

「自信が深まりましたね。普段の練習でも比較的登れないことが多かった緩傾斜により対応できるようになっていると思います。登り方を変えたわけではないので、自信を持つことの重要さを実感しています」

石松選手自身、少ない出場数ながら早くもW杯で結果が出ている要因をどう捉えていますか?

「全くダメだった1月のボルダリングジャパンカップ(編注:15位)後に行った下半身とメンタル面の強化がうまく結果に繋がったと思いますね。練習量を増やしたことももちろんありますが」

メンタル面とは、具体的に言うと?

「たとえば、もともと緩傾斜より強傾斜の方が好きなんですけど、好きな壁っていうものがあると何かしらパフォーマンスに差が出るんじゃないかなと。だからいろいろな傾斜で気持ちが左右されないように、目の前にあるのは同じクライミングの壁だと考えるように日々努めました」

反対に、今後に向けた課題はありますか?

「今年の八王子、ミュンヘンともに準決勝最後の第4課題が登れていないんですよ。普段だったら登れているはずの課題が、何かがあって登れていない。タイプも全く違う課題だったので、もしかしたら集中力が切れているのかもしれない」

自分の中でもまだ分析し切れてないところなんですね。

「そうですね。まだ明確になっていない部分をはっきりさせていきたいというのが今後の課題ですね」

 
 
(インタビュー[後編]に続きます)

CREDITS

インタビュー・文 篠幸彦/ 写真 藤枝隆介・牧野慎吾 / 撮影協力 Climb Park Base Camp

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PROFILE

石松大晟 (いしまつ・たいせい)

1996年12月6日、熊本県生まれ。小学6年生のときに地元のジムでクライミングを始める。ユース日本代表とは縁がなかったが、2016年のボルダリングジャパンカップで4位に入り日本代表に初選出。その年のW杯最終戦ミュンヘン大会で国際大会デビューする。開催国枠で出場した2017年八王子大会では決勝に進出し6位、ミュンヘン大会では3位で表彰台に立った。

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