FEATURE 14

杉本怜(プロフリークライマー)

復活への道のり/独占インタビュー[後編]

『杉本怜、まだいるのかよ』みたいな感じで、ずっと居続けたい

6月に行われたボルダリングW杯第6戦ナビムンバイ大会で準優勝を果たした杉本怜(すぎもと・れい)。2013年のミュンヘン大会で優勝を飾ってから表彰台に返り咲くまでにあった、怪我との闘い。左肩の負傷から、手術、そして今シーズンのカムバックに至るまでを振り返ってもらいました。

ぬぐい切れなかった肩の“違和感”

後編では、2014年のW杯第2戦グリンデルヴァルト大会(スイス)で左肩を負傷されてから、昨年の手術、そして今シーズンのカムバックに至るまでの話を伺いたいと思います。左肩を負傷された時はどんな状況だったんでしょうか?

「左肩を脱臼したのは、準決勝の時でした。この大会は予選から調子が良く、準決勝も第1課題、第2課題と登れたんです。迎えた第3課題、ガストン(内側を向いた縦型のホールドを、親指を下にして持つこと)向きの飛びつく課題があったのですが、飛びついた時に左肩からゴリゴリという音がした。『あ、これは怪我したかもしれない』と瞬時に思いました。次の第4課題でもガストンで入るホールドがあり、その時もゴリっと音がして。それで左肩の怪我は間違いないと思い、第4課題の途中で競技をやめました。でもそれまでの成績で決勝に残ってしまって、左肩にテーピングをして出場したんです」

怪我をしながらも決勝は4位という好成績でしたね。大会後はどうされたんですか?

「大会後はオーストリアに滞在していて、そこで医者に診てもらいました。ただ、レントゲンやMRIは撮らず診察だけで、『これだけ動かして痛みがないのであれば脱臼はしていない』という話だったんです。次のインスブルック大会(オーストリア)に出ても大丈夫と言われましたが、肩の不安感が拭えなくて、結局キャンセルして帰国しました。そこで初めて精密検査を受けたら『脱臼の痕跡が見られる』とのことで、大会への出場は勧められないと言われました」

グリンデルヴァルト大会が5月で、それから8月の世界選手権まで間を空けられましたね。その間はどうされていたんですか?

「検査から1カ月固定をして、3週間くらいリハビリをしました。そこから1カ月という急ピッチでクライミングの感覚を戻して世界選手権に出場しました」

肩の状態は違和感なくできたんでしょうか?

「固定をして筋力が落ちて、パフォーマンスも下がっていたんですが、肩の不安はあまり感じませんでした。ただ、今思えば急ぎ過ぎていたなと思います。そこでまた怪我をしなくて良かったですね」

その後も競技は続けられて、2015年はシーズン通して出場されます。その間も肩は問題なかったのですか?

「世界選手権から半年くらい経つと、亜脱臼を何回か繰り返すようになっていました。騙し騙しやっている状態でしたね。大会や練習中にゴリっと音がすることがあって、段々と『この程度の向きで亜脱臼してしまうのか』というのが増えてきました」

癖になっていたんですね。

「亜脱臼なので外れるまではいかなかったんですけど、ちょっとずれて戻るというのを繰り返していて。2014年にはMRIの結果を見せられても先生に説明を受けなければわからなかったのが、2016年のMRIでは素人の僕が見ても悪化しているのがわかるほどになっていました。この頃は登っていても気持ち良くないというか、思い切ってムーブを起こせないというのがストレスでしたね」

 

手術への決断と後輩たちの躍進

そんな状態で、2016年シーズンを迎えたと。

「ただ、開幕前の診察でいずれ手術はした方がいいと言われていました。シーズンが終わる8月、9月くらいに手術をすれば、翌年のW杯には間に合うと。だから僕の2016年の目標は、年間10位以内に入って、2017年のW杯出場権を確保してから手術をしようというものでした」

ただ、実際はそううまくいかなかった。

「僕は初めて出場したW杯では予選落ちしましたが、次のカナダ大会で準決勝に残れてからは一度も予選落ちがなかったんです。でも2016年、第2戦の加須大会で久しぶりに予選落ちしたことで、自分が予想していた以上に動きが崩れてしまった部分があって。肩の不安感もあり、このままでは厳しいと思いました」

一つのきっかけとしては十分な出来事ですね。

「この状態では年間10位以内は難しいと。そうなると来年のW杯に出場するには、1月のBJC(ボルダリングジャパンカップ)で結果を出さなければいけない。けれど、シーズンが終わってから手術をしていてはBJCに間に合わない。それで加須で予選落ちした夜に担当の先生に電話をして『秋にやる予定の手術を前倒しですぐにやりたい』と申し出ました」

すぐにBJCに切り替えた決断の早さは凄いと思います。

「落胆と焦りもあったと思うんですけど、『このタイミングで手術をして来年に賭けるしかない』と思ったら、決断は早かったですね」

重慶大会後のタイミングで手術されましたが、手術への不安はありました?

「担当の先生がすごく気さくな方で『絶対に大丈夫だから、成功してまたすぐ世界で活躍できるよ』って。何人も手術をして、復帰していった選手がたくさんいるという話も聞いていたので、自分もその一例になれればと思っていました」

術後はどんなリハビリから始めたんですか?

「術後1カ月は固定をして、筋肉が固まらないように徐々に腕を上げるリハビリから始めました。肘を伸ばしたり、腕を外に開いたり、筋肉をほぐす感じですね。それ以外では下半身や体幹といった、それまであまりトレーニングしてこなかった部分を見直していきました。それは全体のベースアップに繋がったと思います」

リハビリの間は、登れないことへのフラストレーションもありました?

「多少はありました。なんていうんですかね。僕が手術を受けてから、楢崎(智亜)くんや藤井(快)くんが上がってきて、彼らの活躍が羨ましいというか、ちょっと嫉妬心というか。『自分ももっと上に行けるはずなのに』というジレンマというか、正直、そういう気持ちはありました。ただ『今、自分にできることをまっとうするしかない』と、そう自分を奮い立たせていましたね」

肩の固定が外れたのは術後どれくらいでした?

「ちょうど3カ月後ですね。もうめちゃくちゃ弱くなっていました。全然登れなくて固定が外れた嬉しさよりも、『ここまで弱くなっているのか』という落胆の方が大きかった」

それ以降は、弱くなった筋力を取り戻すリハビリを中心に?

「解禁になってからは上半身をかなり鍛えましたね。落ちたところをある程度まで戻すのは早かったんです。80〜90%くらいでしょうか。でも、そこからが長かった。このペースであればいい感じで回復していくと思っていたのが、1月のBJCの頃でもまだ求めるレベルには達していませんでした。担当の先生には手術の際に『半年経ったらなんでもできるよ』と言われていたので、正直、焦りを感じていましたね」

思うように回復できない焦り、登れないことへのフラストレーション、先ほども言っていた若手の活躍など、このリハビリ期間はメンタル面の浮き沈みは大きかったですか?

「もう落ちるところまで落ちたので、『ここからやるしかない』と思っていました。あと、若手の活躍で気持ちが楽になったこともあるんですよ」

楽になったというと?

「怪我の前は前線で戦っていて、けっこう期待もされていたと思うんです。でも代わりとなる選手が出てきて、自分はもう気楽にやろうというか、ここで焦っても仕方がないし、気負わずにやろうと。そう思えましたね」

そう思えるほど、楢崎選手、藤井選手の活躍は大きかったわけですね。

「今思えば、僕が彼らほどの活躍はできなかったと思うんです。W杯で優勝はしましたけど、コンスタントに活躍して年間ランキングの表彰台に上がるのは難しかったと。けれど、そこを彼らが打破してくれた。日本人もあの舞台で活躍できるんだということを楢崎くんと藤井くんが証明してくれました。それは本当に大きいことですよ。今でこそ日本チームから活躍する選手がたくさん出てきていますが、そういう雰囲気、流れが生まれたのは、彼らが最初の壁を一つ打ち破ってくれたからだと感じています」

2017年1月 ボルダリング日本代表キックオフ会見にて(写真:編集部)

 

「簡単にはやらせない。そんな強いオヤジになりたいですね(笑)」

今シーズンも日本チーム全体の活躍は目覚ましいものがありますね。その1年のスタートを切るための1月のBJC出場でしたが、どんな心境で臨みました?

「BJCは本当に怖かったです。ここで代表権を獲得できなかったら2017年のシーズンがまず始まらないですからね。手術をした当初はもっといい状態でここまで持っていけると思っていたのが、想像よりも仕上がりが間に合っていない不安は大きかったです」

そういった中、結果は4位で目標の代表権を獲得できました。手ごたえのある復帰戦になったのでは?

「ただ、なんでしょう、まだまだフィジカル面が追いついていなかったんですね。今までの経験やテクニック、メンタルの持っていき方だけでなんとか最低ラインまではいけたなという感覚です」

2017年1月 ボルダリングジャパンカップ決勝(写真:森口鉄郎)

では、終わった後はホッとしました?

「直後は一時的に悔しいと感じていたんですが、すぐに『今年はそこまで望んじゃダメだ』と思い直しましたね」

その後のW杯では第5戦まで高望みをせず堅実な戦いを続けて、決勝にも2回残りました。大きな成果を残したナビムンバイ大会(インド)にはどんな心境で臨んだのでしょうか?

「その頃には気が楽になっていましたね。年間10位以内に入るという目標にだいぶ近づいていて、変にプレッシャーもなかったので。決勝にも2回残れていたため、良いイメージでずっと戦えていました。それもあって落ち着いて臨めたんです」

2017年6月 ボルダリングW杯ナビムンバイ大会(写真:藤枝隆介)

結果的に2位で、2013年以来の表彰台に登りました。手術からここまでいろいろなトレーニングや思いを積み上げてこられて、今後同じような境遇の選手が出てきた時に勇気を与えるシーズンだったと思います。「自分が目標としている以上のところに来られた」という言葉もありました。こういったシーズンを戦って、これからのイメージはありますか? 例えば東京五輪へのイメージは?

「東京五輪の頃も前線で戦いたいという気持ちは強いです。それは五輪に出られても、出られなくても。だから五輪に関しては気楽に考えています。自分がやるべきことをやって、自分が求めているクライミングを続けた上で、五輪というものが入ってこないと楽しくないと思うんです。五輪だけを目指してクライミングをしていくと、行き詰まるんじゃないかと感じていて」

ボルダリングのレベルがこれだけ高い日本の中で、前線で戦い続けるというのも大きな目標だと思います。

「そうですね。自分の中のイメージなんですけど、これから若い選手がたくさん出てきて、世界の第一線で活躍する選手もたくさん出てくると思うんですよ。その中で『杉本怜、まだいるのかよ』みたいな感じで、ずっと居続けたいなって」

若い選手にそんな簡単にやらせないぞというイメージですね。

「はい。どんどん僕を越えて行ってもらっていいんですけど、簡単にはやらせない。そんな強いオヤジになりたいですね(笑)」

杉本選手らしい目標ですね。今日は長い時間ありがとうございました。

※インタビュー前編はコチラ

CREDITS

インタビュー・文 篠幸彦/ 写真 藤枝隆介/森口鉄郎 ※このインタビューは7月21日に収録されました。

PROFILE

杉本怜 (すぎもと・れい)

1991年11月13日、北海道生まれ。ユース時代はリードで多くのタイトルを獲得したが、高校2年生で臨んだ2009年ボルダリング・ジャパンカップの3位入賞を機にボルダリングへ本格転向する。同年からW杯に参戦し、13年ミュンヘン大会で初優勝。15年にはジャパンカップを制した。今年度はボルダリング代表キャプテンを任され、日本選手団を牽引。W杯6戦目ではミュンヘン以来となる表彰台に立つ。

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