FEATURE 03

独占インタビュー

楢崎智亜 世界チャンピオンの流儀

一番強い選手が一番カッコいい

いち若手選手だった19歳が1年後、世界チャンピオンになるシンデレラ物語。壁を前にしても、本能と勢いのまま、自分のスタイルで挑み続けた末の成果だった。「重圧が楽しい」「 強い人がカッコいい」って言えちゃう、若きクライミング魂。自由で純粋でラッパーに少し憧れる、そんな楢﨑智亜が今、めちゃくちゃカッコいい。

※本記事の内容は2016年12月発行『CLIMBERS #002』掲載当時のものです(インタビュー収録日:2016年10月27日)。
 
 

何があった?飛躍の2016年
今年ダメなら、プロでは厳しいだろう…と

20歳を迎えた2016年は目覚ましい活躍でした。この飛翔の一年に至るまでの歩みを今日は振り返っていただきたい。まずはクライミン グとの出会いから、あらためて教えてもらえますか?

「もともと幼稚園から小学4年生くらいまで器械体操をやっていたのですが、ある時に辞めてしまった。でもスポーツは好きだったので何かやりたいなと思った時に、たまたま兄が家の近所でクライミングをやっていて、それで一緒にジムへ行ってみたのが始まりですね」

弟の明智(めいち)選手が、3歳上の偉大な兄について「運動神経は抜群だけど人と争うのがすごい苦手」と言っていましたが、本当ですか?

「昔は本当に苦手で(笑)。サッカーとかバスケとか、ガツガツしたスポーツは特に得意じゃなかった。今はそんなことないのですが、ちょっと人に遠慮しちゃう部分があったんですね」

クライミングをやる上で器械体操をしていた経験が生きているという話をされていますが、具体的には?

「ワールドカップの中では体が小さい方なので、僕は他の選手より飛んだり跳ねたりすることが多いんです。その点で空中でのバランスとか感覚とか、本当にいろいろ役立ってますね」

高校を卒業後、プロクライマーとしてやっていくことを決意されました。何か特別なきっかけがあったのでしょうか?

「この世界でやっていきたい、単純にそう思ったからです。それがカッコいいと思ったし」

何年後にワールドカップで優勝するだとか、 具体的な目標は立てていたのですか?

「そこまでは決めていませんでしたが、21歳とか早い段階で結果を出さないと、プロでやっていくのは厳しいだろうなとは感じていました」

今シーズンが始まる前にも、「結果が出なければプロを諦める」といった発言がありました。

「今年、本気で打ち込んでみてダメだったら、その後もうまくいかないだろうという覚悟で」

迎えたボルダリング・ワールドカップは、第1戦(18位)、第2戦(15位)と結果が出ませんでした。ただ、そこからが凄まじかった! 5月1 日、第3戦の中国・重慶大会で初の表彰台、しかもその頂点に立った時はどんな気持ちで?

「あの大会は、1週間前の加須(第2戦)で全然ダメだったので“重慶では絶対に!”という強い意思で臨んでいました。中国でのコンペには自分が得意な課題が多い傾向があったから、それなりに自信を持って行ったのですが、決勝では1課題を登るごとに“あれ、優勝しちゃうかも”みたいな空気になって(笑)。その時は自分でもビックリですよ。そうして3課題目を登った時点で優勝が決まったのですが、実は“あれ、優勝しちゃった”みたいな感じで」

快進撃の始まりはそんな感じだったのですね(笑)。 続くインド(ナビムンバイ)、 オーストリア(インスブルック)、アメリカ(ベイル)と3大会連続で2位。そしてドイツ(ミュンヘン)の最終戦で優勝して、年間チャンピオンに輝きます。ご自身でも重慶大会以降は「ノッていた」と振り返っていましたが、そんな無敵状態で?

「まずインドの時は、中国で残した結果がまぐれじゃないということを証明したくてひたすら頑張ったら2位になれた。で、インスブルックで2位になった時に、“ いけるな”って感じがしました。そこからはどんどんうまくいって、ミュンヘンの時は今シーズンで一番調子が良かったので、負ける気がしなかったです」

年間成績を見ると、14年は26位、15年が 30位、それが今年は1位と、とんでもないジャンプを披露したわけですが、そこには「心・技・ 体」それぞれに成長があったと思います。最初に「技」、クライミング技術に関して、今年ここが伸びたという点があれば教えてください。

「技術は総合的に相当伸びましたね。もともと僕はそんなに技術を使う気がなかったというか(笑)、 技術を使わないで登るのがカッコいいみたいに思っていて、それでひたすらフィジカルを鍛えていたんです。それを、もっと勝ちを優先する登り方に変えた。もちろん技術は他の選手に比べて高くなかったので、普段のトレーニングで簡単な課題から鍛錬を重ねました」

技術の中には、ムーブを読む力というものも含まれると思います。

「すごく成長できたポイントの一つですね。その課題その課題に合った最善の動きがあるのですが、それをできるだけ練習やアップから選択して登れるよう、今は心がけてやっています」

では「体」の部分で、今年から千葉啓史トレーナーに教えを乞うて体の使い方を見直したそうですが、効果は感じていますか?

「それは結果に出ている通り! めちゃくちゃ感じてます(笑)」

特にどのあたりが?

「これまでは上半身優先で動いていたんですけど、千葉さんに見てもらってから下半身も鍛え出して、下半身をメインにする動きを練習したので、以前よりも登りの安定感が増しました」

そのトレーニングの頻度はどれくらい?

「決まってはないのですが、多い時は週に何回も会って指導を受けています。ジム以外でも、教えてもらったことを自宅で復習したりとか」

最後は「心」、メンタル面の成長も結果に影響したと思いますが、どのような変化が?

「何より、プレッシャーを楽しめるようになったことですね」

先ほど、スタイルへのこだわりを捨てて勝負に徹するようになったという話もありました。

「そうですね。前は自分のスタイルを予選から 主張して登っていたのですが、そのせいで安定感がなく、見ての通り順位もバラバラ。でも今は、予選と準決勝は手堅く行って、決勝で自分らしさを全開で出せたらいいと考えています」

結果を優先することに、後悔というか、ち ょっとカッコ悪いなという気持ちはない?

「それはないんです。決勝で自分のスタイルを見せることが一番みんなの記憶にも残るので」

   

日本人初、人生最高のパリ大会
焦ってました。落ち込んでました。でも…

日本人初優勝の金字塔を打ち立てた、世界選手権パリ大会のことを聞かせてください。2014 年の前回ミュンヘン大会(10位)に続く2度目の参戦でしたが、大会の雰囲気は違いました?

「2年前はボルダリング種目のみの世界選手権だったのですが、今回はリード、スピード、ボルダリングと全部あったので、まず観客の数が全然違いました。それと2年前は僕自身まだよくわかっていなくて(笑)、 とりあえず自分が世界のどの位置にいるのかを確かめたい、くらいの気持ちで臨んでいたんです。でも今大会は、最初から優勝を目指して挑みました」

現地で観戦しましたが、お客さんの雰囲気もスタンディングオベーション連発みたいな (笑)。あれはクライマーとしてどうでした?

「最高の瞬間でした。決まったと思った時にすぐ拍手が来るのがすごく気持ち良かった。子供たちに囲まれたりもして、嬉しかったですね」

苦労したのが準決勝です。「どう登っていいのかわからない」ほど難しい課題だったそうですが、そこをギリギリの6位で通過しました。

「予選は1位で抜けたので準決勝は順番が最後だったんですけど、先に試技した選手がみんな帰って来ない。要は登れてないってことで、“ ちょっとセッターがやっちゃったのかな~”なんて思いながら出てみたら、本当にめちゃくちゃ難しかった。2課題目で一撃できてから少し安心していたのですが、4課題目の時に日本人選手からの応援が凄かったので“あれ、残ってないの? これはヤバいぞ”と必死になって。最後の最後にボーナスを取れて何とか6位に入れたのですが、けっこう焦っていました」

優勝する気で臨んで、準決勝を辛くも抜けて、決勝に対する不安はありませんでした?

「準決勝を終えた時は正直、普段のワールドカップとも課題の感じが違うし、“今日の自分、全然対応できてない……”って落ち込んでいて (笑)。でも振り返ると、準決勝でああいうタイプの課題を出してきてくれたのは良かったと思っています。仮に準決勝を1位や2位で抜けたとして、決勝であのタイプの課題が来ていたら優勝できなかっただろうなと。あの決勝の前も、だから自分はラッキーなんだと考えたら気持ちを切り替えられて、もう一度、優勝を目指して臨 むことができました」

決勝は見事なパフォーマンスでしたが、勝因を分析すると?

「1番手だったというのは大きい。それに1課題目が自分の得意なタイプだったから、1番手 で1課題目をきれいにスパッと決めたら、観客を味方にできる。会場の流れを引き寄せられたので、そこは非常に大きかったと思います」

日本人選手として初めて表彰台の真ん中に立った時の気持ちは、どんなものでしたか?

「何回か危ない場面があったんですが、本当に頑張ってきて良かったなと。応援してくれた人たちの顔を見て、やったな~と実感しました」

大会直後には「今までで一番嬉しかった」とも言っていましたね。

「それはもちろん。決勝で最終課題のゴールを取った瞬間は最高でした。クライミング人生を通しても、本当に一番、嬉しかったですね」

他の日本人選手も奮闘していました。王座を競い合うライバルが身近にいる環境については?

「強い選手が近くにいるというのは嬉しいことですね。普段の練習から強い選手と登れることで、常に成長できる。みんなそれぞれ強い部分が違うので、支え合っていけるし、お互いに強くなっていけるという感覚があります。僕も大人になった今では、気を遣いすぎてやりづらいみたいなことも全然ないですし(笑)」

   

「一番強いクライマー」になる
守らず、自分のスタイルを存分に出したい

ここからは少し話題を変えて質問します。クライミング会場には雰囲気を盛り上げる音楽が付き物ですが、楢﨑選手はよく音楽を聴きますか?

「コンペの前後にはあんまり聴かない方なんで す。聴いていた時期もありましたが、今は会場に流れている音楽や歓声を自然に耳に入れて、どんどん気持ちを高めていくというか」

好きなアーティストや、トレーニングの時に聴くと気持ちが上がる曲などはありますか?

「最近はヒップホップですかね。日本語ラップみたいなのも盛り上がってるじゃないですか」

おっ、フリースタイル?

「『フリースタイルダンジョン』(テレビ朝日)、好きなんですよ」

おっ、見てますよ。

「ホントですか、みんなカッコいいっすよね。 T‒PablowとかR‒指定とか、同じ栃木出身の DOTAMAとか、楽曲も聴いたりしてます」

闘争心が高まるんですか?

「ラップってなんかオレオレ系じゃないですか。自分に自信ある!みたいな(笑)。 そこにちょっと憧れちゃうんです」

8月の『CLIMBERS Special Session』に来てくださった際には、会場でONE OK ROCKをリクエストしてくれましたよね?

「今も好きですけど、ジャンルを問わず聴くの で、最近はラップが流行ってますね」

岩場での活動についても聞きたいと思います。海外遠征も経験されていますが、外岩クライミングの魅力はどんなところにありますか?

「外岩は本当に一人で打ち込むので、より自分と向き合えるというのがあります。普段のコンペは人と競っているので。それとコンペって4 分間しかないじゃないですか。でも岩ってどれだけ打ち込んでもいいから、その間にどんどん自分の変化がわかっていく。そこが魅力です」

今後行ってみたい場所はありますか?

「南アフリカにあるロックランズっていう町なんですけど、そこの課題がめっちゃカッコいいんですよ。自分が好きな飛んだり跳ねたりが多くて。岩なのにそういうスタイルの課題が多いというのが、カッコいいな、ロックだなって。来年は世界選手権がないので、その8月あたりに行けたらいいなと計画しています」

最近、意識して口にしていると思うのですが、「誰に聞いても一番強いと言われるクライマーになりたい」という発言をされていますよね。この言葉に込められたメッセージ、真意とは?

「そんなに深く考えてないです(笑)。 そんなに深く考えてないですけど、単純に一番強い選手が一番カッコいいかなっていう」

「一番強いクライマー」となった時には今、ライバルとしてアダム・オンドラ(チェコ)の名前が挙がると思います。意識はしていますか?

「そこまで意識してはいないのですが、『世界で今、一番強いのは誰だ?』とトップレベルの選手に聞いたら、みんながアダム・オンドラって返してくると思う。アダムはコンペでの成果も凄いし、外岩でもクライミングの限界値をどんどん上げているので、その人を越えなきゃいけない。かなり大変なことだと感じています」

この8月には、東京オリンピックにおける 「スポーツクライミング」の採用が決まりました。 ボルダリングに加えてリード、スピードの複合競技になると見られていますが、それぞれをどのように練習していくのですか?

「決まりそうというのはずっと聞いていたので、 まずは正式決定して、そして大きな目標ができ て良かったです。リードは、今年の冬からしっ かりやっていこうと。以前から取り組んでいますが、僕は瞬発的な動きが得意な方で、他の選手よりも持久力がないため、人よりもそこは何倍も練習しなければならないと思っています。スピードは、本番に向けて手数や手順などフォー マットが変わる可能性もあるということで、それが決まってから猛特訓ですね」

来シーズンは、挑戦者から「追われる者」へと立場が変わります。プレッシャーはないですか?

「まず日本の選考会でワールドカップの代表権を獲得すること。もちろん今年勝つことができたので、王者として自信を持って臨みたいという意識はあります。そこで守りには入らず、来年も自分のスタイルを存分に出していきたい」

1月のジャパンカップにも出場を?

「まだ勝ったことがない大会なので、優勝、狙ってます」

最後になりますが、クライミングを始めたばかりの人たちに向けて、このスポーツの魅力を世界チャンピオンからお願いします。

「体だったり年齢だったり経験だったり、大き い人には大きい人なりの、小さい人には小さい人なりのやり方があって、どんな人でも楽しめるのがクライミングの魅力だと感じています。コンペに挑戦したり、ジムで仲間とわいわいセッションしたり、外岩で自分と向き合ったり、本当に様々な楽しみ方が見つけられるので、ぜひ 続けてみてほしいですね」

CREDITS

インタビュー・文 編集部 / 写真 森口鉄郎 / 撮影協力 B‒PUMP 荻窪店

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PROFILE

楢崎智亜 (ならさき・ともあ)

1996年6月22日、栃木県生まれ。10歳でクライミ ングを始め、高校卒業後プロに。2015年には全日本ユース選手権やアジアユース選手権で頂点に立つ。16年はワールドカップ(計7戦)でも第3戦で初優勝を果たすと、その後3戦連続2位に入り最終戦を制して、ボルダリング種目で日本人男子初の総合優勝。続く9月の世界選手権で日本人初優勝を達成した。外岩では「Direct North V14」「Mandala SD V14」などを完登。

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